第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




九日目: 42度の涙

 

クウェートでの最初で最後の朝。夕べこの街に到着した時もうだるような暑さであったが、朝もやはり暑い。ホテル一階の狭い食堂でパン、サラダ、スクランブルエッグ、それにコーンフレークの朝食。席が少ない上混んでいたこともあり、一人のインド人風のおやじが何も言わずに僕の座るテーブルに相席してきた。一応おはようと挨拶を交わしたが、このおやじ、終始ムスッとした顔で下を向いており、暗い雰囲気であった。クウェートの生活に飽きてホームシックになってるのかなぁ、なんて思いながらお互い黙々と食べた。食後エレベーターに乗ると、日本人かな? と思われる中年夫婦と一緒になった。声をかけようと思ったが、何となく日本人とも違うような気もして、やめておいた。仮に日本人だったとしても、多分駐在員夫婦とかであろう。観光でこの国に来たなんて言ったら気でも触れたのかと思われたに違いない。

 チェックアウト時間は2時とのことなので、早速市内散策に出かけた。このホテルの位置するロータリーからはグランド・モスクも、博物館も割と近いから、まずはこの二箇所を回り、もしバスがあればそれでクウェート・タワーにでも行ってみるとしよう。

 

 クウェートの街は整然としていて、特に政府官庁や王立の施設等はゴージャスな雰囲気漂うたたずまい。もちろん門番がいて中には入れないが。そもそも表を出歩くという文化はこの国には無いのではないかと思うぐらいの車社会である。

 さて、ロータリーからまっすぐ歩くこと10分程で巨大なモスクのミナレット(尖塔)が見えてきた。クウェート最大のグランド・モスクだ。ちなみに湾岸諸国で一番大きいモスクはみんな「グランド・モスク」と呼ばれている。しかしここクウェートのグランド・モスクは外国人の見学を制限しており、団体ツアー、そして前日に予約をした人以外には公開していないらしい。昨晩到着した僕はもちろん前日予約はしておらず、飛び込みで見学のお願いをすることになる。

 「すいません。日本人観光客ですが、中に入って見学することはできますか?」

ダメならしょうがないな、と半分思いながらモスクのある一箇所の門にいた守衛に聞いてみた。

 「あっちの方向に正門があって、そこにモハメッドという私の上司がいる。彼に聞いてみてくれ。」

守衛はそう答えた。僕はこの大きいモスクの塀に沿って歩き、やがて彼の言う正門にやって来た。その門は開いており、人の気配は無かった。そのまま中に入ってみると、大きなビニールハウスで作られたような休憩室っぽい場所があった。信者の姿はどこにも無く、青い作業服を着た掃除夫や庭師がせわしなく働いているだけだった。礼拝堂の方まで歩いて行った時、そこで初めてアラブ系の守衛を一人見つけた。僕は彼に改めて見学のお願いをしてみた。目の前は礼拝堂だし、そこで僕が中に入りたいというゼスチャーをしているのだから、守衛は僕の意図を理解してくれたと思うのだが、何せ彼は英語が話せないので、理解不能なアラビア語で何か言っている。やがて言葉が通じないとわかったのか、守衛はこっちに来なさい、と僕を先程の休憩室へと誘導した。彼は時計を指差し、「テン、テン」と言う。ゼスチャーを読む限り、上の人間にかけあってみるから、ここで10分待っていろ、という意味のようだった。

 休憩室と外とはビニールシートだけで仕切られているとは言え、冷房でヒンヤリ冷やされていた。赤と白を基調とした椅子とテーブル、そしてクッションが配置されており、ベールを頭にかぶったインドネシア人かマレーシア人らしきおばさんが一人できりもりしている。こいつは何者なんだろう、というような顔で時々僕を見ながら、テーブルクロスを取り替えたり、食器を洗ったりしていた。一応ミネラルウォーターを一本出されたので、それを飲みながらしばらく待つ。だが先程の守衛、上の人間に掛け合ってくれるようなそぶりを見せていたが、相変わらず礼拝堂近辺をウロウロ歩き回ってるだけ。ほんとに見せてもらえるのだろうか、なんて思いながらとりあえず本など開いてしばし待つ。

 

 しばらくすると、先程のおばさんが僕の座るテーブルの所にやって来た。トレーを持っており、僕の前にミルクティーとクッキー、そしてデーツと呼ばれるナツメヤシのお菓子を置いて去った。僕はクッキーを一かけら口に入れ、ミルクティーをすすった。静かに上を向き、ビニール屋根越しに燦燦と照りつける中東の太陽を仰ぎ見ると、昨日到着してからの一連の苦労が早送りのビデオ画像よろしく脳裏に映し出された。そして次の瞬間、一滴だけ、目から何かがテーブルクロスにポタリと落ちたのを感じた。目の前にあるのは、ただのお茶とお菓子。しかしこれは、この国に来て初めて、僕が一人の客人として扱われたことを意味していた。地獄上等、歩いてやるよ、とずっと肩肘張っていた僕、この時急に胸が熱くなっていた。仮に礼拝堂を見せてもらえないとしても、僕はこれで十分だ。そんな感じがした。

 休憩室に入ってからかれこれ40分の時間が過ぎようとした頃、あの守衛がやっとこちらに戻って来た。オーケー、オーケーだ、と彼はゼスチャー。僕はティーカップに残った最後の一口を喉に流し込み、席を立った。先程テーブルクロスに落ちたはずの一滴の雫は、もののあっという間に蒸発して消えていた。

 守衛の後について、靴を脱いで礼拝堂の中に入る。冷房で冷やされた、とてつもなく広い空間に無数のカーペットが敷き詰められていた。礼拝時間ではないので中には誰もいなかったから、ずっと向こうまで見渡せる。柱一本一本も巨大で、この柱と自分が並べば、どれだけ大きいかがわかるだろうと思い、守衛にシャッターを頼んだが、彼は静かに首を振った。礼拝堂の鍵を開けること以外上司に許可されていないためか、イスラムで禁じる偶像となる人物写真はダメということか、単にカメラの腕に自信が無いだけなのか、真意はわからなかったが、それはそれでよしとしよう。とりあえず僕のクウェートでの最初の目的は達成されたのだ。

グランド・モスクの内部

 

 さて、次の目的地である国立博物館に行ってみた。ガイドブックには日曜日休館と書かれていたのだが、いざ門をくぐると休館日が土曜日に変更したとかで残念ながら見ることができなかった。隣接するサドゥ・ハウスは開館していたので軽く見て回った。こちらはベドウィンの作った織物が展示してある小さな博物館だが、別段すごいと思えるものは無かったので、すぐに次の目的地、クウェート・タワーを目指した。路線バスが通ってるはずなのだが路上には一台もバスは見当たらず、バス停にも誰一人待っている者はいなかった。こんな状況下では、ドバイやマスカットで意外と頼りになった自分の足にもうひと頑張りしてもらうしか無い。近くのビルに表示された気温は43度。炎天下を歩くなど今更何てことも無い。多分ラクダの次に長く歩けるだろう。歩行者信号の無い通りに出た僕は、猛スピードで走り抜ける車の群をかわしながら、アスファルトの一直線道路を黙々と歩き出したのだった。

 

 なるべく日陰を歩き、噴水やスプリンクラーがあったら遠慮なく近付いてその水しぶきを浴び、ウォークマンでも聞きながら、たまに歌でも歌った。相変わらず高級車がただビュンビュン走り抜ける道路だけの風景。まだ四時間砂漠が始まったわけでもないのに、ゴーストタウンのように人気の無い建物。ふと電柱に何やら色あせたボロボロのポスターが貼られているのを見た。そのポスターは・・・。

 

 サアド前首長。なんと変わり果てた姿で・・・。

 

 クウェート王族は一夫多妻で子沢山。それだけに王位争奪を巡る権力闘争はどこにも増して激しいと聞く。これだけ沢山子供がいれば、兄弟なんて名ばかり。しゃべったことも無いヤツもいれば、顔と名前の一致しないヤツもいることだろう。そうなってしまえば、それはただの政敵なのである。そこで時の王様であるジャビル首長は考えた。こいつら王子達に金をばらまいて遊ばせとけば、政治に関心など持たなくなるよな、と。しかし相手は王子達。ロールスロイスが飽きたらその場で捨てちゃうような面々を一生満足させるほどの金と言ったら、並大抵の石油収入でも追いつくものではない。そして遂に首長は勝負に出た。石油の叩き売り。OPECから何言われようが関係無いっ! 抜け駆けして大儲けだっ! と、勢いのままに基準価格の半額を提示して走り出してしまった。

 しかし、当時どうしてもお金に困っている国がもう一つあった。イランとの11年に渡る戦争で国土がボロボロの廃墟と化し、膨大な借金だけが残ったイラク。かの国の大統領サダム・フセインは、石油を売って何とか国を復興しようと思った。で、抜け駆けなんてされるとウチの石油が売れないからやめろ、とクウェートに言ったが聞き入れてもらえず、そのままコトはエスカレートし、遂には記憶に新しいあの事件が起こってしまった次第。

  やがて戦争は終わった。イラクに占領されたクウェートは解放され、海外へ逃げていたジャビル首長は戻って来た。イラクのフセインもかなり追い詰められたものの、結局政権にとどまった。要は戦争前の状態に全てが戻ってしまったわけだ。そう、全て。クウェート王室の権力闘争さえも元通り。2006年にジャビル首長が亡くなり、サアド皇太子が次期首長に即位するが、彼はわずか9日後に失脚した。皇太子でいた時にイラクに敗れて国を奪われ、国を取り戻してからライバルの王族との権力闘争に破れて王位を追われ、散々な末路をたどった王様の話でした。

 

おっと、暑さのあまり集中力が落ちて話が脱線してしまった。時間と共に陽は高くなり、歩けば歩くほど体が火照るのを感じる。手持ちのミネラルウォーターも遂に底尽きた。タワーまではあと少しなのに、もうダメか、と思いそうになったその時、ふとアイスのお店を見つけた。蜃気楼じゃないよな?! 考える間も無く突入し、ミネラルウォーターをガブガブ、アイスをペロリと食べてチャージ完了!

 

 体力が回復してズンズン歩いて行くと、やがて前方現れたのは奇妙な三つの塔。これこそがほとんどこの国唯一の観光名所であろう、クウェート・タワーである。スウェーデンの建築家によって設計されたとか。どう見ても串団子のような容姿ではあるが、同時にドラえもん等に登場する未来の世界の建物にも見える。二つの団子の串は展望台、一つの団子の串は給水タンク、そして何もついてない串は照明塔である。

クウェート・タワー

 

 早速入場料の1ディナール(約430円)を払い、エレベーターで一気に団子の部分まで上がる。着いた展望台の外側は一面窓ガラスとなっており、クウェートの街が一望できる。しかも展望台の床自体が少しずつ回転しており、自分は動かずして360度の景色が目の前に現れるのだ。展望台の内側には湾岸危機の際に侵攻してきたイラク軍がこんなに野蛮かつひどいことを行った、というアピールとして、内装が木っ端微塵に破壊されたタワーの写真が展示されていた。

 しばらくは手すりに寄りかかり、右から左へと流れていく乾いたビル群をボーッと眺めていた。周囲にいたのは白装束姿のクウェート人の若い男二人組、目のパッチリした黒髪の美少女を連れた黒ベールのおばさん二人、それに黒人五、六人のグループぐらいであった。いずれもパシャパシャ記念撮影をするとさっさと降りて消えていった。

 とりわけこのタワーがすごいってこともないのだが、やはり苦労して歩いてたどり着いた今回の旅のゴールということで、ほのかな達成感を束の間感じた後、僕もタワーを降りた。外に出たとたん、ムワッと、毛布に体を包まれるかのような暑さが襲ってくる。僕は海の方に歩き、波打ち際の岩場にちょこんと腰を下ろした。生暖かいその海の中に手を伸ばせば、指に触れてしまうぐらい間近にまで、小魚の群が泳ぎ回っている。ああ、疲れた。ホテルに戻ろう。帰ったらチェックアウトのギリギリまで爆睡だ。クウェート・タワー。旅はここで終了。僕はもうそう決めた。頭上の太陽がメラメラと燃え盛る中、僕はもうそれ以外何も考えることはできなくなった。あぁ、脳みそが溶けていく・・・。

 突然、空から一筋の光が僕の目を直撃した。どうやらクウェート・タワーの展望台の窓の一部が陽の光に反射したようだ。一瞬僕はその光に何か耳元で囁かれたような気がした。

 「まだ行くのか? お前なんぞが、まだ前に進めるのか?」

今回のクウェート訪問で僕が訪れたアジアは30カ国目。ちょうどアジアの半分を訪れたことになり、今回が折り返し地点となる。思えば体力的にも精神的にも過酷な旅を強いられた。正直、一人旅はしばらく休業だ、とさえ思った。でもこの道は必ず折り返す。ここまできたらアジアを踏破するしか無い。今回はキツかったが、決して楽しめない旅ではなかった、と無理矢理ながらも思い込む自分がここにいる。まだまだ行けるよ、タワーさんよ。

 

 億劫そうに腰を上げた僕はふと時計を見た。ちょうど正午を回っていた。四時間砂漠の始まりか。今更何てこともないぜ、なーんて。人間って、砂漠にポツンと一人でいると案外強くなれるものなのかも。

 

 そんなわけで、僕は再び歩き出した。まだまだ遠いアジアの道を。。。  (完)