第十回 「ひと冬の夢」 (フィリピン編)
Philippines
フィリピン旅の期間:2001年1月23日~1月29日 6日間
訪問地:マニラ、セブ、ボホール
二日目:ビルとの出会い
セブ行きのフライトは午後1時。僕は旅行社の女性からフライトチケットを受け取るとすぐにチェックアウトし、ワリーの車に乗り込んだ。
「結局マニラ戻りは27日の4時だね? じゃ、その時に空港に迎えに行くよ。」
やや混雑したマニラの交差点。車が信号で停まる度にニ、三人の物売りが果物や花、中国製のおもちゃ等を片手に寄って来る。首を振っていらないというしぐさをしながらワリーは僕の戻りの時間を確認した。
「フレディのライブには一緒に行こうよ、ワリー。」
「ああ。彼のライブハウスが以前マニラにあった頃、一回行ったことがあるよ。あの時写真いっぱい撮ったから、君が戻って来たら見せてあげよう。」
「ライブの時、写真撮れるの?」
「もちろん。」
「いいねえ。ついでにサインももらっちゃおうかなあ。」
などと希望を膨らませているうちに車は空港に到着。ワリーにしばしの別れを告げ、チェックインカウンターへと足を運ぶ。X線のチェックの時、僕は身に付けていた金属品をすべて外し、ゲートをくぐっても何も音はしなかったにもかかわらず、いきなりちょっと待てと呼び止められ、係員のボディチェックを受けた。ゲートをくぐるペースが皆早かったので、きっと前の人の金属反応を僕のものと勘違いしたのだろうが、それにしてもそんなに自分が怪しい姿をしているのかと自信喪失してしまう一瞬であった。だがその直後、地元民のおばあちゃんからタガログ語でセブ行きのゲートはあちらでいいのかといったことを尋ねられ、早くも地元に溶け込んできたのかなと勝手に解釈して自信回復。足早に待合室へと向かった。
国内線の待合室は一ヶ所だけ。セブに行く者も、ボラカイに行く者も、ミンダナオに行く者も皆同じだだっ広いスペースに並ぶ椅子で待つ。デジタル表示は無く、各フライトの搭乗開始を知るには搭乗ゲートに置いてあるホワイトボードの手書の表示を見なくてはならない。下手にウォークマンを聞いていたり、室内に設置されたテレビで踊るエアロビクスの美女など見ていたら、もう飛行機が飛んでしまったということもありうる。仕方無いので周囲の人々が席を立つのを注意しながら、何もしないでただ時を待った。一人旅の人はいないかな、そう思って辺りを見回すがそれらしき人はいない。ほとんどが三、四人のグループであった。だがしばらくすると体の大きな一人の欧米人が現れ、三列程前の席に腰を下ろした。黒いランニングシャツにオレンジのズボン、そしてヒゲ面という目立つ格好で、連れはいなさそうだった。やたら携帯をいじっている。ヒマつぶしと情報収集に話しかけてもよかったのだが、多分現地の知り合いと連絡を取り合っているのだろうと思い、特に気にもしなかった。ま、ここにいる時点ではまだセブに行くのかすらわからないのだし。
やがてゲートにセブ行きという表示の入ったボードが置かれ、周りの人々が荷物を担いで席を立ち始めた。僕も彼等に続いてゲートに向かう。ゲートと言っても飛行場に面したただのガラス扉で、そこから飛行機のある場所まで各自歩いて行くのだ。こうして人々に流されながらたどり着いた機体はかなり小さい。後ろのタラップから乗り込んで席を捜す。えーっと、窓側、窓側…。
自分の席を見つけると、隣の通路側の席には偶然、先程待合室で見たあの大柄な欧米人が座っていた。相変わらずノキアの携帯片手に何やらメッセージを打ち込んでいる。
やがて飛行機は離陸。二人のスチュワーデスが冷えた缶ジュースの詰まった大きな袋を持って各席を回る。スプライトを一本もらってしばらく飲んでいると、ふと僕は大事な事が記憶から抜け落ちていたのに気付いた。今朝航空券を手に入れてそのまま直行して来たので、セブへの到着時刻の確認を忘れていたのだ。そうだ、この人に聞いてみるか。
「すみません、マニラからセブまでは何時間かかるんですか?」
隣の欧米人は携帯をポケットにしまい、こちらを見た。彼は僕の問いに対し口は開かず、ただ人差し指を一本だけかざして見せた。
「一時間ですか、どうもありがとう。」
一人旅だったので、せっかく隣合わせた彼と少し話でもして何らか情報でも得られればなと、ほんの少しだけ期待してはいたが、そんなに話をしたくなかったのだろう。フィリピンで携帯を使っているから、恐らくリピーターか長期滞在者であることに間違いは無いのだろうがちょっと残念。ま、飛行時間を教えてくれただけでも十分だ。僕はガイドブックでも読もうとナップザックを開けた。するとその時だった。
「フィリピンは初めてか?」
隣の欧米人が口を開いた。僕は機内食代りに配られたスナック菓子をつまみながら話を始めることにした。
「ええ、初めてです。昨日の晩マニラに着いたばかりなもんで。」
「そうか。晩ってことはキャセイパシフィック航空だな?」
「今上海に住んでいるので香港経由で。僕は日本人だけどね。あなたは?」
「合衆国だ。今の自宅はニューヨークだが、以前はセブに住んでいた。」
「ってことは、セブ、詳しい?」
「まあな。何か知りたいことがあったら聞いてくれ。」
僕はガイドブックの中からセブの地図の載っているページを開き、とりあえず事前に計画していた行動予定をざっと話してみた。とは言ってもセブの体験ダイビングと、ボホールのチョコレート・ヒル観光以外何があるのか全く知らないのだが。
「泊まる場所はどこだ? マクタンか、セブ・シティか?」
「セブ・シティにあるホテルを予約してるんだ。」
「なら近場にいいビーチをいくつか知ってる。マクタンは観光客向けで高くつくからな。」
初めての僕に彼はまずセブ島の地理から親切に説明してくれた。細長いセブ島の中心セブ・シティは島のちょうど真ん中に位置している。そのセブ・シティから海を挟んで東の真向かいにマクタン島という小さな島があり、そこに実はセブ空港がある。マクタンは島中に高級ホテルやプライベート・ビーチが点在しているそうだが、彼の話によるとセブ島側のビーチの方がもっと素晴らしい上、経済的だとか。彼お薦めのビーチは最北端のマラパスクアと最南端のモワルボワルだそうだが、いずれもセブ・シティからは車で片道一日がかりと交通が不便らしい。セブ島と言っても意外と大きいのである。
「ボホールは確かにチョコレート・ヒルが良かった。だが一日で十分だな。」
「セブには長めに滞在した方がいいの?」
「一週間でも短いぐらいだ。もし君さえよければ案内したっていいよ。」
「ほんと?」
「現地にはオレの友達も沢山いる。その方が楽しいだろ。」
「でも、いろいろ予定もあるんでしょ?」
「今回セブには二ヶ月いる予定なんだ。時間ならいくらでもある。」
「ありがとう。僕の名前はLing Muだ。」
「オレの名はウィリアム。ビルって呼んでくれ。」
これはまた意外な展開となった。セブの旅行事情を聞こうと思って話を始めたら、彼は何と案内してもいいと言うのだ。一人旅の僕は思わぬ所で力強い助っ人にめぐり会えたような気がした。
「へえ、ビルは以前セブの旅行会社で働いてたのか。」
「ただしナイトライフの担当だったんだ。観光客を夜遊びに案内する仕事さ。カラオケバーやナイトクラブはほとんどすべて知ってるが、デイタイムの観光地はまあまあって所だ。」
やがて飛行機は低空飛行を始め、窓の外からは真っ青な海が見えてきた。点々と浮かぶのはセブ島も含まれるビサヤン諸島。その小さな島々の周りにはエメラルド色の珊瑚礁が輝いている。
「空港には誰か迎えに来るのか?」
窓をチラッと見て、そろそろセブに近付いてきたことを確認したビルが言った。
「一応、ホテルの人が来ることになってる。」
「オレは地元の友達が迎えに来るんだ。宿泊先を教えておくから、ホテルに着いてからもし必要なら連絡してくれ。」
ビルはそう言って、自分の名刺の裏にホテルの名前と携帯番号を書いて僕にくれた。名刺にはオートバイのディーラーとあった。
「本職は建設会社で働いてるんだが、バイクの方は趣味でやってるんだ。骨董品バイクをコレクター向けに売り買いしてる。」
ま、いろいろなことをやってるんだろうが、それにしても毎年二ヶ月もの休みをまとめて取れるとは羨ましい。しかもその全ての休日をセブ島だけに費やすなんて、よっぽどハマッてしまったんだろう。
両脇にヤシの木が立つ道路を豆粒のような車が行き交うのが機内の窓からも見える。空が海と同じぐらい紺碧で水平線がどこにあるのかもわからない。
「一年中ほとんどこんな青空さ。正にパラダイスだよ。」
やがて小さな飛行機は滑走路に軽くバウンドしながら着陸した。ムーンとした暑さのマニラとは違う、突き刺すような日照りに一瞬目がくらむ僕。どれ、ビルがそこまで太鼓判を押すパラダイスを早速歩いてみるとするか。僕は荷物を担ぎ、この青いフィリピンの空が会わせてくれた水先案内人の後に続いてタラップを降り、ターミナルビルまで歩いて行った。
出口にはプラカードを持った出迎えが何人か待っていた。
「ホテル・センター・ポイントからの出迎えはいるか?」
ビルが代わって彼等に聞いてくれた。
「いいえ、私は違います。」
そこにいた彼等は全員首を横に振った。僕達はこの小さな出口をしばらく捜したが、出迎えは見つからなかった。マニラの旅行社からの連絡を受けていないのだろうか。
「ホテルの電話番号はわかるか?」
ビルはそう言ってポケットから携帯を取り出した。
「いや、電話番号は聞いてない。ただ手配したマニラのホテルの番号なら知ってる。」
「よし、かけてみろ。」
僕は彼から携帯を受け取り、チェリー・ブロッサムの番号をプッシュした。いくつもの島から成るこの国ではどこに電話するにも長距離になってしまうので電話事情が悪いらしく、なかなかかからない。しばらくトライしているうちにやっと受話器から聞き覚えのある声がした。昨日の晩、食事に行く時に酸っぱいスープのことを教えてくれたフロント嬢だった。
「もしもし、昨日宿泊したLing Muです。今朝そっちにいた旅行社の人はいる?」
「ああ、あの人はもう事務所に帰ったようね。事務所の番号はわからないんだけど。」
「じゃ、ワリーはいる?」
「彼も出かけてるわ。帰りは五時過ぎになりそう。」
「参ったな。セブに着いたんだけど出迎えが来てないんだ。料金も支払済なんだけど。」
「とりあえずホテルへの行先を教えるから、タクシーの運転手さんに換わって。」
彼女がそう言った時、僕達の前に赤い車が停まった。
「オレの友達が迎えに来た。ここにいてもなんだから、とりあえず君も乗るんだ。」
ビルが僕の肩を叩き、車の助手席の扉を開けて腰を下ろしたので、僕も携帯で話を続けたまま後部の席に乗り込んだ。
「あぁら、ビル。今日はお客さんと一緒かい? アーハッハッハ!」
僕が座った席の隣にいた二人のおばさんのうち一人が大きな声で笑った。
僕はとにかくビルの隣でハンドルを握る女の子に携帯を手渡し、マニラのフロント嬢からセンター・ポイントへの行先をタガログ語で聞いてもらった。
「場所はわかったわ。先にあなたのホテルに行くね。」
女の子は笑顔でそう言った。
「Ling Mu、紹介しよう。運転席の彼女は友人のジョアンだ。それから君の隣に座る二人のオバサンはオレがセブに来る度にいろいろ面倒見てくれてる。うるさい方はベレン、子供を抱いてる方はジョアンナだ。」
ビルは軽く車内の仲間達を紹介してくれた。彼女達はいきなり車に飛び込んで来た僕にもとても好意的だった。
「コラッ、ビル! うるさい方ってのだけ余計だよ! ハーッハッハッハ!」
隣のベレンっていうおばさんはまた大きな声で笑いながら前に座るビルの肩をバチンバチンと叩いていた。何だか映画に出てくる黒人のおばさんのように声がハスキーで笑いが豪快だった。
「あんた、セブ初めてなんだってね。あたしのこと『ママさん』って呼んでくれりゃいいよ。あたしの知ってる唯一の日本語なんだ。何せビルがセブにいる時はいーっつもあたしが母親代わりやってんのさ。アーッハッハッハ!」
彼女はそう言って僕の肩をパチンと叩き、その後でビルの肩も叩いた。彼はランニングなので肩はもう真っ赤になっていた。何で彼女が「ママさん」って言葉だけ知っているのか疑問だったが、僕も彼女に習って豪快に笑い飛ばし、遠慮無くそう呼ばせてもらうことにした。
ジョアンの運転する車はセブ・シティに入り、今晩宿泊するセンター・ポイントまで無事送ってもらった。そこは古いカトリック教会の近くにあり、周囲には宗教グッズの出店が所狭しと軒を連ねていた。
「先週までこの辺ではサント・ニーニョのフィエスタをやってたから今も賑わってるのよ。」
子供を抱くジョアンナおばさんが言った。サント・ニーニョとは幼少時代のキリスト像のことで、王子様のように冠とマントで着飾った派手な容姿をしている。フィリピンでは信仰の対象として最もポピュラーだそうで、確かにこれら出店に並べられた大小様々なサント・ニーニョの数はマリア像よりも遥かに上回っている。何の予備知識も無い僕はここに来てからサント・ニーニョの存在を知ったが、初めてキリスト教国を訪れた僕にとって新鮮な出会いだった。この季節は各地でこのサント・ニーニョを神輿に担いでお祝いする盛大なフィエスタ(お祭り)が行われる時期。ちょうど日本の夏祭りや秋祭りのように各自治体ごとに行われており、セブ・シティ等ほとんどの地区では先週のうちに終わってしまったようだ。しかし田舎や離島ではこれから始まる地区もあるらしい。
「じゃ、オレ達はさっきメモしたホテルにいるから、後で気が向いたら遊びに来てくれ。」
「わかった。じゃ、又後で。」
ビル達とはひとまずホテルのフロントで別れることにした。
「今晩とあさっての二泊のご予約ですね。一泊700ペソなので1,400ペソになります。」
フロントのその言葉が信じられず、思わずもう一度聞いた。
「マニラの旅行代理店からは一泊1,500ペソだって聞いてたから3,000ペソ支払済だぞ。」
「そうですか、代理店からは予約依頼以外まだ何も連絡が来ていないので、その金額については知りませんでした。後で確認します。」
「それに空港のピックアップも300ペソ支払ってるけど、誰も来なかったよ。」
「ピックアップには確かに行かせたんですが、会ってませんか?」
「会ってないから別の車で来たんだよ。」
「そうですか。ただその300ペソも今まだ代理店から受け取っていないので宿泊費と合わせて確認させて下さい。」
事前にインターネットで得た情報の中にはサギまがいの旅行会社やガイドに関する記載もあった。あそこもやはり…? 第一、春節でセブが混雑してるからまとめて先払いがいいなんてもっともらしく言っていたが、中国系の旅行者など一人も見えやしない。
部屋に案内された僕はのんびりいたたまれず、とりあえず荷物を置き、軽装に着替えるとすぐにフロントに降りて宿泊費の件を聞きに行った。
「何度かトライしているんですが、何分長距離なのでなかなかつながりません。もしお急ぎでしたらお客様のお部屋の方からもコンタクトしてみて下さい。」
ラチがあかないので再び部屋に戻ってマニラに電話してみる。始めのうちは確かになかなかつながらなかったが、根気よくプッシュしているうちにやがてつながったのは15分が経過した後であった。しかしやはりあの旅行社の人間もワリーもホテルにはおらず、電話に出たフロント嬢に話した所で何も解決にはならない上、その分長距離電話代がかさむばかり。とにかく最悪はマニラに戻った際にチェリー・ブロッサムに戻って直談判しよう。いずれにせよ最終日にはワリーがマニラの空港に来ることになっている。
こんな時は一人で考えても仕方無いのでビルの所に遊びに行くとでもしよう。冷房のきいたホテルを飛び出せば聞こえてくるのはクラクションの音、売り子の呼び声、子供の駆け回る足音、そして音の割れたラジカセから鳴り響く英語やタガログ語のダンスミュージック。路上に所狭しと並べられた週刊誌やタブロイド紙を彩るスターの笑顔やスキャンダル写真を時々眺めながら、通りを流しているタクシーを見つけて手を挙げる。僕はビルの残したメモを片手にその助手席に乗り込んだ。
「ハスマイン・ホテルまで。」
運転手にメモの住所を見せると、彼は無言のまま車を出発させた。このタクシー運転手を含め、この町の男性に共通して言えるのだが、全体的に人相がよろしくない。ちょうど大相撲の曙をスポーツ刈りにしたようなルックスが多く、睨まれると怖い。まあ、笑顔を見せる人が割合多いのがせめてもの救いである。しかしこの運ちゃんはちょっと愛想悪そう。
「これって、サント・ニーニョって言うんだろ? いいねえ。」
初めてのタクシーでトラブルを起こしたくないので、運転席に飾られたミニサイズのサント・ニーニョを話題になどして場を和ませようとした。運ちゃんは一瞬微笑んだが、十字路を右折したとたん出食わした大渋滞を見てまたムッツリ顔になった。
「この通りはいつも昼頃になると渋滞するから、ムカムカするんだ。」
運ちゃんはボソッと言った。僕はしばらく会話は控えることにした。
渋滞を何とか抜けて約20分。入り組んだ通りに入ったタクシーはやがて停まった。
「住所を見るとここになるが、このホテルでいいのか?」
目の前にあった小さなゲストハウス風のホテル。看板には「ジャスミン・ホテル」とある。
「名前が違うなあ。ハスマイン・ホテルってのは無いのかい?」
「ちょっと周辺を回ってみるか。」
運ちゃんは再びタクシー走らせ、所々で停まっては通行人に聞いていた。しかし彼は誰に聞いてもわかったようなわからないような顔をしながら車をゆっくり走らせる。そうこうしているうちにまた元の場所に戻って来てしまった。やっぱりここなのだろうか? 僕は車から降りて聞いてみることにした。
「ええ、確かにここはハスミン・ホテルですよ。」
僕はもう一度ビルのメモと、このホテルの看板を見比べた。ジャスミンは英語で書くと「Jasmine」。メモ上のホテルは「Hasmine」。フィリピンではスペイン語の影響でジャスミンをハスミンと読む場合があるようで、それを耳で聞いたビルはそのまま「Hasmine」と書いてしまったようだ。
「運ちゃん、どうやらここでいいみたいだ。細かいの無いんでお釣りちょうだい。」
お金を渡して100ペソのお釣りをもらおうとしたその時だった。運ちゃんの顔が曙と化した。
「あれだけ駆け回ったのに、チップも無いのか?」
結びの一番で若高兄弟と対戦する時の、正にあの睨みそのものであった。ちょっと圧倒され、お釣りを半分あきらめかけたが、このままむざむざ引き下がるのもしゃくである。
「じゃ、90ペソはチップだ。10ペソは返してくれ。」
曙は10ペソを取り出し、無言で僕に手渡すとそのまま車を走らせて行った。後々考えてみれば10ペソ戻ってきた所でどうってことも無かったのだが、まだこの国の物価事情をよく把握していなかったので思わずチップまで値切ってしまった。基本的にアジアではチップを払う習慣は無い。欧米の支配を受けた経験のある国で、よほど高級な店かボッタクリの店でもなければチップを要求されることは少ない。しかしここはフィリピン。独立後もアメリカの影響を強く受け続けているフィリピン。約20%ばかりチップとして払ってあげるのが普通のようだ。
「ここに宿泊中のビルに会いに来たんだけど、いる?」
僕はもう一度フロントに戻って聞いてみた。
「ああ、ビルね。さっき他の友達と一緒にお昼食べに行ったわよ。じき戻って来るからそこで待ってたら?」
フロントの女性に言われ、僕は近くのソファに座って現地の英字新聞をパラパラめくりながらビルを待つことにした。
やがて僕が新聞の最後のページをめくったちょうどその時だった。
「いいんだよ! ここはあたしが払っておくから! あんたは早く降りなさいって!」
ベレンママさんのハスキーな大声が響き、ビルがタクシーで戻って来たことがわかった。
「おう、Ling Mu! ちょっとメシに行ってた。待たせてすまなかったな。」
ロビーに現れたビルは早速僕を見つけ肩を叩いた。
「さ、どこでも案内するけど、行ってみたい所は?」
「この辺で観光地って言ったら何があるの?」
僕の問いにベレンママさんが代わって答えた。
「そうねぇ、この近くって言ったら、サンペドロ要塞跡とか、マゼラン・クロス(マゼランの到達記念碑)とか、道教のお寺って感じかしらねぇ。ちなみにあたしの前の職場がサンペドロ要塞のすぐ近くだったんだけどさ、ま、なかなかいい所なんじゃない?」
お勧めの理由が極めてアバウトだが、道教寺院なら中国にもあるからそのサンペドロ要塞とやらに行ってみることにしよう。しかしその前にペソを切らしてきたので換金、そして明日のボホール行きのチケットを手に入れたい。
「OK、そうと決まったら早いとこ行こうぜ。」
三人は早速タクシーに乗り込み、まず港のチケット売り場へと向かった。「スーパー・キャット」というジェット・フェリーなら約一時間でボホール島の中心地タグビラランに行けるらしい。明日の便を確認した所、ボホール行きは朝7時半発と夕方6時頃の二便だけ。翌日のボホール発も同様7時半発だ。やれやれ、明日もあさっても早起きか。しかし明日一日でボホールを見て回るならちょうどいい時間。即購入することにした。とりあえず明日の足を確保できたので一安心。僕達はサンペドロ要塞の方に向かった。
「ここよ、ここ! あたしゃね、この郵便局で定年まで働いてたんだよ。そうそう、お金換えるんだろ? ならここがいいよ。ちょーっと、お兄さん! 米ドルのT/C、換金お願い!」
別に聞いてはいなかったが、ベレンママさんのかつての職場は正に要塞の真隣にあった。その間を隔てるように屋台の飲食店が並ぶ細い道があり、換金所も同じ通りにあった。あの調子だから恐らくきっと名物おばさんだったのだろう、近くで焼きそばか何かの屋台をきりもりしている子連れ夫婦も換金所の兄ちゃんもベレンママさんとは知り合いのようだった。立ち止まって彼女に挨拶する通行人すらいる。
「Ling Mu、残念ねぇー。T/Cはダメなんだってさ。」
「困ったなぁ。今回手持ちの現金少ないんだよ。」
フィリピンに着いて初めて知ったのは、一般の換金所でT/Cの交換ができないこと。ま、中国においても結構不便ではあるが。仕方無く現金を換えることにしたが手続はルーズ。近くの売店でビルが買って来てくれた小瓶のサンミゲルを飲み干すだけの時間は十分にあった。サンミゲルとは日本でもアジア料理店等ではおなじみのフィリピン国産ビールである。
T/Cが敬遠されるのでこの先ちょっと心配だが、とりあえず明日の準備はこれで完了。三人は真横にそびえる石造りのサンペドロ要塞を散歩することにした。16世紀にスペインが建立した要塞跡。今は建物の周囲と合わせて散歩ができる公園のようなスペースになっている。売店でなぜか売っていた肉まんをほおばりながら、街並みを一望できる砲台にゆっくり上がって行くとビルが言った。
「オレは本当にこの島にはまっちまったよ。何より女が最高だ。」
「セブには彼女いるの?」
「一人いたが、先週別のアメリカ人に紹介した。だがマニラにあと二人はいるよ。」
ビルがそう答えるとベレンママさんが補足した。
「彼にはね、ここで働いていた頃現地人の奥さんがいたんだよ。あたしゃその時ビル達の家の近所でね、お見合いから離婚までずっと世話してたのさ。」
「全く、このオバサンには頭上がらないよ。」
ビルが恥ずかしそうに笑うと、ベレンママさんは相変わらずの調子で豪快に笑いながら彼の肩をバチンバチンと叩いていた。
要塞の砲台を囲む石の壁は木のつるで覆われており、その陰のベンチというベンチはそれぞれ二人の世界に浸っているカップル達で埋め尽くされていた。中には彼氏の耳垢を取ってあげている女の子もいる。
「Ling Mu、あたしのちょっとした知り合いにいい子がいるんだよ。よかったら会わない?」
ベレンママさん、おもむろに得意のおせっかいを発揮。しかし元々はたった一人の旅。出会いが更に出会いにつながれば旅も一層楽しくなる。それにフィリピンの女の子には美人が多い。耳垢まで取ってくれなくてもいいが友達にはなってみたい。僕は快く承諾した。
「Ling Mu、それだけじゃないぞ。その後はカラオケバーに行くからな。いい子紹介してやる。」
自身満々にそう付け加えるビル。いい年に見えるが結構なプレイボーイである。旅行会社時代、ナイトライフの担当はきっと自分で志願したのだろう。