第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




三日目: アブラを求めてバスの旅

 

 朝起きると、四人部屋の二段ベッドは全員埋まっていた。夕べはこの部屋、ドイツ人一人しかいなかったのだが、眠りについた後に何度か扉が開いて、欧米人が数人出入りしていたような気がする。連中は目を覚ます気配も無かったので、一階の食堂で一人朝食を摂った。どうやって注文するのか、そしてこの場にいる誰が宿泊者で、誰が食堂の給仕なのかも区別がつかずしばし戸惑ったが、とりあえず席に座っていると、やがてフィリピン人と思われる男が朝食を持って来てくれた。現地ではホブスと呼ばれるナンに、バターとジャムを塗っただけの代物とスクランブルエッグを口に入れ、牛乳で喉に流し込んだ僕、食後に部屋に戻ると、ちょうど同室の欧米人のうち一人が起きたところだった。欧米人って何となく皆似ているので、昨日この部屋で会ったドイツ人と一瞬間違えてしまったが、彼はスイス人。名をダニエルといった。欧米人の英語は早口で大変だったが、気さくな男とお見受けしたので、本日はテキトーに市内を回ろう、という話になった。

 

 さてさて、ドバイ貧乏旅行の基本はやはりバスである。もちろん、本来なら番号のみで行く先を熟知していなくてはならない一般の路線バスのことである。今我々がいるユースは、空港からそう遠くはない市の東南部アル・カシス地区にある。で、市内の見所である水上バス「アブラ」やスーク(市場)、バスターミナルや博物館等は市の東北に位置する中心部アル・ラス地区に集中しており、参考までに、セレブな高級ホテル群は西部沿岸に林立する。ドバイって意外と大きいのである。とりあえずまずはアル・ラス地区へ行こうということで、早速バスに乗り込んだ。全体的に物価は決して安くないUAEであるが、バスとミネラルウォーターだけは非常に安いことだけが旅人には有難い。バスは行く先にもよるが、市内の通常の移動であれば約1.5ディルハム(約20円)である。

 しかしこのバスを乗りこなすというのは、来て一日か二日の人間には非常に難しいスキルである。例えば水上バス「アブラ」に乗りたいとしよう。まず「アブラ乗り場」という名のバス停は無いので、アル・サブハという場所で下車することを事前に知らなくてはならない。しかもこちらのバス、特に車内放送も無ければ、次の停車場所を表示する電光掲示も無い。バス停に来たらさりげなく徐行するだけ(この時点ではまだ停まらない)。そのタイミングに合わせて誰かが降車ボタンを押して、初めて扉が開く。それが無ければ路線上のバス停であっても素通りしてしまう。位置関係を完全に把握しているか、目的地に目印のようなものがあればいいのだが、それが無い場合はもはや周囲の人に聞くしかない。基本的に乗客はほぼ全員外国人労働者(運転手もだ)。しかもインド、パキスタン、フィリピンといった旧英米領のアジア出身者なのでほとんどが英語を理解する。またドバイ歴の長い人が多いので、聞けば割合親切に教えてくれる。もちろんバス停の名前は全てアラビア語なわけだが、これもきちんと発音できないと相手に通じないので、周囲で聞こえてくるアラビア語に慣れておくといいかも知れない。何となくこんな感じの発音の多い言葉なんだな、と認識するだけでもずいぶん違う。

 だが先に述べたように、乗客の多くは外国人。特にインド人が一番多い。ということは、インド経験者ならこんな体験をきっとお持ちだろう。現地人に道を尋ねると、彼等は知らない場所でも、もっともらしく教えてくれるのだ。このテの人間に当たってしまった時は始末が悪い。親切に教えてくれたことに感激しながらバスを降りると、全く見当違いの場所であったりする。そうなったら最後、38度の炎天下、見知らぬ通りで路頭に迷うという恐怖が待っている。こうしたハイリスクと常に隣り合わせで動くのが、ドバイのバス旅行の基本である。

 旅を幾度か経験してきた人は言うだろう。そういう時は前の方に座って、運転手さんに目的地に着いたら声かけてくれって頼めばいいのでは、と。なるほどいいアイディアだ。もし僕が女性であれば。

と、いうのはこういうワケである。

 「男女七歳ニシテ席ヲ共ニスベカラズ」の概念が今も強く定着しているイスラム圏。実は湾岸地域のバスって、前方二列の座席は女性専用席。こちらでは女性が前の方に座るのは基本原則であり、僕は運転手の近くには座れないのである。ちなみにバスに乗る時はもちろんきちんと行列に並んで乗るわけだが、女性にはその義務が無い。自由に割り込んでも誰も文句は言わない。いくらレディーファーストとは言え、自分が乗りこむ時になってから、六人も七人も女性に横入りされちゃうと、オイオイ、と思ってしまうが、これも実は道理がある。前二列までは女性用というステッカーが張られているが、そこから後ろは女性の乗客数次第で女性用にも男性用にもなるグレーゾーンとなる。ただでさえ車内はすぐに満員になるため、いつまでも女性用座席をキープしてあげられないので、乗りたい女性がいるのなら早く乗ってくれ、ということなのだ。

 

 この国のバスは経済的ではあるが、上で述べた不便さに加えて渋滞にはまり易く、路線が遠回りで各駅停車のため、巨大都市での移動にはかなり時間を要することになる。そんなこんなでユースを出てから結局40分ぐらいかかったが、何とかアル・サブハに到着。そこは生活用品や電気製品のお店が乱立し、インド人を中心に世界中の人々が生活感をプンプン匂わせて駆け回る活気溢れた通り。さ~て、アブラ乗り場はどこだ? 時々「女はいらないか?」と言い寄ってくるインド人を適当にあしらって(中東でもやっぱこんな商売あるんだね)、潮風の匂いに導かれながら海沿いの道(コルニーシュ)へと出る。「メイド・イン・チャイナ」と書かれたコンテナの山、バラバラになった自動車のパーツの山を横切ると、いよいよアブラ乗り場に到着。

 いわゆる香港のスターフェリーを渡し舟風に縮小したような感じ。船上の腰掛が乗客で一杯になり次第、随時出発して向こう岸へと向かう。何しろ灼熱の町だ。海風に吹かれているのは非常に気持ちのいい一時である。ドバイと言えばやっぱ油、じゃなくてアブラ! と思うほど好きになった。到着までの間、乗客は各自船頭に1ディルハム(約15円)を支払う。船頭の座る足元にはパックリと機械室が見える四角い穴が空いており、その穴の所に舵がある。船頭は足で器用に舵を回して船を動かしていた。

 到着した向こう岸にはオールド・スークという市場がある。市場と言っても衣類や土産物を売る店舗がやや暗いアーケードに並ぶ、言わばエスニックかつクラシックな商店街といった所かな。各店は冷房が効いてるためか、スーク全体がヒンヤリと冷やされている。しばらく散策した後でダニエルとはここで別行動することにし、博物館を見学した。本館は一見小さそうだったが、地下が非常に広く、この地域の人々の古い生活の様子が人形で再現されていた。これら人形、何度か目が合う度にドキッとするほどリアルであった。

 

 見学を終えた後、近くにあるグランド・モスクに入ってトイレを貸してもらう。礼拝堂のあちこちで扇風機が回っている中、この暑さにバテてる人々が床一面に大の字になって転がっており、僕のような異教徒が勝手に出入りしていてもみんな上の空であった。

 


    水上バス「アブラ」

 

 用を足した後、そのままスークの方向へまっすぐ歩いた所にあるアル・グバイバ・バスターミナルへ行き、そこからバスでシャルジャへと向かった。シャルジャとはドバイの隣にある首長国である。なぜこれからシャルジャかと言うと、明後日に予定しているオマーン着後の砂漠ツアーを日本からネットで申し込んでいたのだが、その旅行会社がシャルジャにあるので、代金支払い等の手続きに行くのだ。ま、UAEの各首長国というのは、確かにそれぞれ違う王家と違う法律が支配しているようだが、既に合併して長い年月を経ているので実質は国ではなく、州と考えて間違い無い。だが石油のアブダビ、貿易・観光のドバイ、農業・漁業の東部首長国といったように役割分担がなされているようだから、シャルジャの位置付けにも興味があったし、一応ドバイと別の首長国である以上、やはり多少雰囲気が違うのかな、と少しは期待を膨らませてバスに乗り込んだ。しかし実際訪れてみると、ドバイ郊外の町といった感じで別段代わり映えも無かった。バス乗り場に隣接して緑地が広がっており、この国ではすっかりおなじみであるインド、パキスタン、フィリピンの労働者諸君が、大きな木の下に腰を下ろして思い思いに休憩している。緑地周辺には小さな旅行会社が沢山点在していて、カウンターにはこれらおなじみの国々の人達が詰め掛けている。帰国のための手配をしているのか、国にいる誰かを呼び寄せようとしているのか。彼等は皆真剣な表情で、一人か二人の社員が叩くコンピューターを凝視しながらずっとカウンターにへばりついていた。

 

 どこもそんな雰囲気なので、外国人はドバイに輪をかけたように多く、ちょっと期待外れ。一方で僕が手配をしている旅行会社のオフィスはこの近辺からはやや遠く、見つけるのに少し時間がかかったが、手続きは無事に完了した。特に見所も無かったし、日も暮れてきたので、近くのインド料理店で「ビリヤニ」というインド風カレーチャーハンを食べた後、ビデオ屋でインド映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」のVCDを買い、すぐにバスに乗ってドバイに戻った。

 

 バスの利用者は相変わらず外国人ばかり。様々な人種がきちんと列を作って普通にバスに乗り、普通に店で買い物して日々生活している。平和である。多分出身国によって給与レベルは違うのであろうが、みんなもらうモノはきちんともらっているため、犯罪を起こす必要性も無い。インド人が目立つのだが、インドではない。彼等自身も異邦人ゆえということもあるが、僕のような日本人がいてもインド本国のように「おお~、どこから来た?」と構ってくる者は皆無である。言うなれば、「アジア版アメリカ」といった感じなのかな。みんなそれぞれ自分の生活をしており、互いに干渉し合うことは無い。そりゃ道を尋ねたら親切に教えてくれるが、それだけである。別にそれ以上の親切を期待しているわけではないが、至ってドライな場所。そんな印象を感じた。裕福な石油国家であるからこそ完成してる平和社会なんだろうな。それなりに皆生活さえできるのであれば、案外世界平和って難しくないのではないかなぁ。でも、もし世界がドバイみたいに平和になったら、世の中、つまんないだろうなぁ~。ラジオのアンテナのような「世界一高いタワー」を車窓から見上げながら、そう思いに耽る僕であった。