第十四回 「熱風アラビア道中」
          
(バーレーン・シリア・カタール編)

Bahrain

Syria

Qatar


バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日

訪問地:マナーマ、ムハラク

 

シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間

訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ

 

カタール旅の期間:2007年5月4日 1日

訪問地:ドーハ




ドーハ: 地獄から天国へ 

 

 朝7時半、チェックアウトした僕はタクシーでバスターミナルへ。ダマスカス行きのチケットを150ポンドで買う。ホムス、ハマといった都市を経由しながら順調に車が走る中、僕は外の風景にふと目をやる。所々に草の生えたステップ地帯。遥か向こうに連なる砂色の山々。なぜかその頂上部分は全て赤い岩になっている。それはまるで山の上に作られた城壁、はたまたスフィンクスかのようだった。ダマスに近付くにつれ、岩山の様子が少しずつ変わり始め、緑が見えてくる。針葉樹なのだろうか、この地の木々はまるで緑の色鉛筆を突き刺したかのような奇妙な棒型の形をしている。元々こういう形なのか、吹き付ける砂漠の風がこんな形にしたのか。やがて岩山のふもとにウジャウジャ蟻がわいたように細かな集落がへばりついている風景へと変わる。道も並木道になってきて、それに沿って点々と現れる民家が無事ダマスに着いたことを知らせる。 

 とりあえずここまではスムーズに到着した。後は空港行きのバスに乗り換えて今回のシリア旅は終わりだ。しかしこのバスの終着点は車庫のようで、バスターミナルはどうやら自分の足で探さなくてはならなさそうだ。一緒に乗って来た乗客達も通りに出るや行き交うセルビスかタクシーを拾うと、あっという間に姿を消した。この車庫にいる制服姿の係員に空港行きのバスが出るターミナルについて聞いてみるが、誰も英語がわからず。たらい回しのようにいろいろな人にバトンタッチされ、五人目ぐらいでやっと英語のわかる人に出会えた。エアポートか、それならこっちだ、と言って歩き出すその男の後について行く。男が向かったのは車庫向かいの通りを渡った向こう側で、そこには黄色いタクシーがいっぱい駐車されていた。この男、タクシー運転手だったのか。ちょっと待て、空港までいくらするんだ? 男は「大丈夫だ」としか答えない。男が自分のタクシーの扉を開けてエンジンをかけ出したので、僕は車の外からしつこくその金額を問いただすと、その男、「空港までは800ポンドだ」と答えた。ちょっと待て、僕はさっきから空港へ行くバスのターミナルに行きたいとしか言ってない。なのにいつの間にかタクシーをあてがわれて、空港までタクシーで行く話に変わっており、バカ高な金額を突き付けられそういなっている。 

 「高過ぎるよ、ダメ、ダメ。」

僕はそう言ってこの場から離れようとした。すると男はいくらならいいんだ、と後を追ってきた。200だ、と僕が言うと、男は500でどうだと応じてきた。 

 「空港までは40キロもある。ガソリン代がバカにならない。」 

 「だから、タクシーなんて使わないって。バスで行くって言ってるじゃん。」

 「この辺には空港行きのバスは無い。空港バスならバラムケ・ターミナルから出ているが、そこまで行きたいなら40ポンドだ。」 

何? 空港行きのバスターミナルはここから遠いのか? それならこの男ともう少し交渉して、タクシーで空港に行く方が楽かも知れない。僕はしばらく200で行ってもらうべくねばったが、どうにも下がらない所、相場があるのだろう。最終的に300ポンドまで下がった。元の言い値の半分以下だからよしとするか。これ以上タクシーでもめて旅を終わらせるのもつまらないのでここで手を打つことにした。 

 約30分で空港に到着。まだ時間はあったのでセブンアップとスナック菓子を昼食代わりにしていた。その時ふと見た航空券に愕然とし、次の瞬間セブンアップの炭酸が別の器官に入って咳き込んでしまった。しゅ、出発は明日?! 思えば出発前にプランしていたフライトがキャンセル待ちだったので、カタール行きの予約フライトは2日になったり、3日になったり、何度か変更していた。最終的に3日のチケットを入手していたのだが、頭の中で勝手に今日のフライトだと思い込んでしまっていた。やれやれ、とんだ失敗である。ま、失敗と言っても損失は空港までのタクシー代ぐらいであり、シリアでの時間をもう一日もらえたと思うことにしよう。そうそう、バシールはまだダマスにいるのだろうか。空港バスでバラムケ・バスターミナルに戻った僕は、セルビスに乗ってマルジェ広場へ向かった。広場に近付くと乗客がさりげなく僕に知らせてくれる。シリア人は相変わらず親切だ。イラン人ツアー客のチェックインでやや混み合っているラムセス・ホテルに今夜一晩も泊まることにし、部屋に荷物を置いて一路ジュースの店へと向かった。 

 「バシィィィル!」

ジュース屋でオレンジジュースを一杯買った僕が店の青年にバシールの名を言うと、彼は店の前に並ぶテラスに向かって叫んだ。すると一番近くのテーブルに座った男が、バシールは今トイレに行ってるからここで待っていろ、といったことを手振りで教えてくれた。彼はバシールの友人でムスタファと言い、アルジェリア人だった。彼としばらく待っていると、やがてバシールが現れた。 

 「やぁ、また会えたな。こっちは相変わらずシリアで足止めだ。」 

 「大変そうだなぁ。」 

 「いやぁ、本当に大変だよ。」

ムスタファも話に加わってきた。彼は英語がほとんどわからないのでバシールが簡単に通訳する程度しかコミュニケーションができなかったが、二人共出稼ぎの身分でありながら思うように職が見つからないフラストレーションはよく伝わってきた。ジュース屋の兄ちゃんもなぜか話に混じってきたので、マルジェ広場でシリア人、モロッコ人、アルジェリア人、そして日本人の四人が束の間求職環境の座談会を始めることに。日本に出稼ぎに行ったらどれだけ稼げるのかとか、外国人労働者は広く受け入れられているのかとか、かつて中国にいた頃、あちらでもよく聞かれた内容の話だった。10年ぐらい前はイランやパキスタンからも労働者が来ていたけど、今はビザとか受け入れ状況が厳しいよ、と言っておいた。彼等が僅かな幻想を頼りに日本までやって来て、入国から衣食住まであらゆる面で苦労することを考えれば、マルジェ広場でジュース飲みながら職探ししている今の方が遥かに幸せに見えたからだ。

 夕方、文字通りシリアでの最後の晩餐にバシールを誘った。ま、晩餐なんて言ったが、場所は近所の粗末な飯屋。もちろん僕のおごりだ。

 「あれからトルコにはどうにも動けなくて、ムスタファともよく話したんだが…。」

バシールが早速切り出した。彼等はトルコ経由でヨーロッパへ出稼ぎに行くことを諦めたそうだ。そして新たな行先として彼等が目指す国は、リビアとなったらしい。同じアラブの国なので彼等にとって入国は難しくなく、産油国だから稼げる上、湾岸諸国ほど物価は高くない、ということが決め手だという。トルコ行き資金に加えてシリアで少しアルバイト的な仕事をして不足分を稼ぎ、この一、二週間以内にリビアへの航空券を買うのだそうだ。 

 「そこで、なんだが…。」 

この話の流れで彼が何を言いたいのか、どんなにカンが鈍い人でもわかるだろう。カネを恵んでくれ、という話だった。 

 「もちろん旅行中の君から今もらおうとは思っていない。帰国してからウェスタン・ユニオンの送金サービスで俺宛に200ドル程送って欲しいんだ。」 

悪いんだけど…。イスラムの世界では普通なのかも知れないけど、行きずりの人から金銭を求める行為は勘弁してくれ、僕はそう言いたかったが、とりあえずウェスタン・ユニオンのサービスは日本ではやっていないから帰国後の送金もできないし、今も余分なお金は無い、とだけ言っておいた。 

 ま、この数日彼と話していて、確かに金銭面で頼ろうとする節はあるものの、騙し取ろうというまでの度胸はこの男には無い。イスラム話のスイッチが入ると少々ウザったいが、それ以外はホスピタリティあるアラブのいい兄ちゃんという雰囲気で、僕のシリア一人旅の中で多少なりとも彼から力をもらったことは事実である。だからダマスカスに戻った時、何となく彼に会いたくなったのかも知れない。しかしそれは飛行機代を援助するまでの話ではない。せいぜい今晩のメシをご馳走するぐらいの話だ。彼も全くそれが理解できないことは無いだろう。思った通り彼もそれ以上は言ってこなかったので、残りの時間は海外の話等でいろいろ盛り上がったのだった。イスラム話も少し出てきたが、最後なのでにこやかに聞くことにした。一応メルアドは交換したものの、きっともう連絡を取り合うことは無いと思うので、最後は楽しく笑って別れようと思ったのだ。

 

  シリア最後の朝は8時に起床。今日の客室にはマルジェ広場を見渡せるバルコニーがあるので、ここからのんびり朝の風景を眺めるのも悪くない。もっともこのバルコニー、至る所に鳩のフンがこびり付いているので注意が必要だが。シリア最終日となる五日目。人々は親切だし、思っていたほどジロジロ見られはしなかったものの、やはり外国人が少ないゆえか自分だけ常に浮いている感じもしていた。いかにイスラム圏に強い関心を持つ僕でさえも、遠い所に来てしまったな、というアウェー感が若干あるのか、段々歩き回るのが億劫にもなってきた。ま、ちょっとした旅の疲れだろう。そんな時バルコニーから街を眺めるのはいいものである。誰にも気兼ね無く観察ができる。 

 マルジェ広場の真ん中には黒いポール型の記念碑が立ち、そのてっぺんは小さなモスクの形のオブジェとなっている。そう言えば初日に中国人達と市内観光をした時、「この広場には世界最小のモスクがあります」と李さんがユーモアを交えて説明していたのを思い出す。広場周辺を飛び交う鳩用のモスクだろうか。 

 広場の周りは大小様々なホテルがひしめき合う。それゆえ広場を行き交う車の10台中8台はタクシー。大量の黄色いタクシーが記念碑を中心軸にグルグル旋回しているその広場はまるで卵焼きを焼いている巨大なフライパンのようだ。ここが観光の拠点であるからだとは思うが、これだけ沢山のタクシー、はたして需要はあるのだろうか。絶えること無く響くクラクション。広場の噴水の音。改装中のモスクからはトントン、カンカンという金槌の音。コーヒーやお茶を売り歩く男が金属製のコップをチャリン、チャリンと鳴らして歩く。ダマスカスの様々な音を堪能する一時。原宿の若者どころか、ファッションモデルのように鮮やかな着こなしで曲線美を見せつけて闊歩する女性もいれば、ヘジャブというスカーフで髪を隠した女性、アバヤというスカーフとマントが一体になった黒いベールで全身を隠した女性もいる。顔を出して洋風の服装をしている女性が派手目の美人であるのに対し、ベールの女性は古風でつつましやかな美人なのかも知れない。事実、仲睦まじく男性と腕を組んで歩いているのは意外とベールの女性が多いことに気付く。ベールで隠してさえいればその下は何を着ても自由。しかしそれを見ることができるのは相手の男性と家族のみ。部外者の男性ましてや僕のような異教の異邦人がそれを知る権利など全く無い。しかし顔を出している女性達の美しさを見れば、ベールをしていたって美しいことは簡単に想像がつくわけで、こんな美女ばかりが町中を歩いていれば惑わされる男性、ひいては悪い考えを起こす輩も現れかねない。それを防ぎ、女性を守るという意味でベールを使用するという考えに至ったのは、まぁ、わからなくもないな、と実際この国に来て思うのだった。

  10時を過ぎると日差しが強くなってくる。手持ちのシリア・ポンドも少なくなってきたので、ホテルのすぐ隣にある店でケバブと水を買って昼食にする。その後僕はホテルのロビーである人物を待っていた。ちょうどチェックアウトの時間帯なのか、ロビーは沢山のイラン人宿泊客がいて騒がしい。中国人か、アフガン人か、と気さくに声をかけてくる。だがチンプンカンプンのペルシャ語のみで話しかけてくるのでまいった。 

 

 僕が待っていた人物、ワエル氏は間も無く現れた。ダマスカス初日、ウマイヤド・モスクで中国人達とくつろいでいた時に話しかけてきたシリア女性ラシアさんの紹介だった。知人に日本語の上手な人がいる、携帯を教えるからもし興味があれば会ってみるといいと言われたのだ。僕の勘違いによりシリア滞在日が一日余ったので、その日に彼に会ってみようと連絡してみた所、都合が合わずシリア出発直前の本日会うことになったのだ。 

 昼食も済んでいたし、何せここを立つ時間も迫っているため、ホテルのすぐ隣の喫茶店でコーラでも飲みながらしばしお話した。僕はてっきり地元の大学で日本語を学ぶ学生かと思っていたが、何と彼、エジプトのカイロ大学の日本語学部を卒業し、政府情報省に勤務するエリートだそうな。日本人ジャーナリストの通訳や、日本のテレビ局がシリアを取り上げる番組を作る際のコーディネーター、更にはシリアで放映される日本アニメのアラビア語訳と字幕作りを主な仕事としているらしい。そう言えばアレッポで宿泊したホテルのテレビでも日本のアニメが放送されていたのを見たが、現在放送されているアニメのほぼ全部、彼が字幕を作ったのだそうだ。純粋に日本語を学習中のシリア人と日本のことやシリアのことをおしゃべりしようかなと思っていた矢先、思いもよらぬ大物の到来にちょっとかしこまってしまい、会話も何となくインタビュー調になってしまう僕であった。 

 「日本語を学ぼうと思った動機は何だったんですか?」 

 「実は、僕もその辺のシリア人と同じく、日本と言えば『カラテ』ぐらいのイメージだったんです。日本の武道は最強だと思っていたから、いつか日本に行ってマスターして強くなりたい、と思ったのが最初ですね。」 

 「で、日本語を学びながら空手を極めたんですか?」 

 「いえ、空手は空手として習ってはいましたが、もっとハマったのはアニメでした。」 

彼は違和感の無い日本語でそう語った。どうしてそんなに流暢に日本語を話せるようになったのかと聞くと、エジプト留学時代に一度短期留学で日本に一年滞在したことがあり、その際に日本人の彼女ができたそうで、会話力が数段アップしたのだそうだ。中国留学時代、授業をずっとサボっていたズボラな日本人学生が、中国人の彼女ができればそこそこ中国語が上達する等とのたまい、実際上達していた。当時キャンパスにいたエリートのワエル氏も同じことを言っているし、そこは間違い無いのだろう。 

 「それにしても、シリアでは日本人を見るとみんなブルース・リーとか言うし、日本に関する情報が無さ過ぎるのではないですかね。もちろん日本もシリアのことを知らなさ過ぎるのは同じですが。」 

数日のシリア滞在でちょっと思ったことを言ってみた所、彼から興味深い答えを頂いた。 

 「確かに日本含め海外の国のことを一般人にもっと知ってもらったり、交流イベントを行ったりする働きかけは必要で、それは本来外務省がやるべき仕事なんです。私も外務省の関連部署に提言したことがありますが、もっと優先順位の高い業務があると言って、なかなか実施されません。そこで情報省の人間として何かできないかと考えた時、国営放送は情報省が関与しているので、そこで放送する子供向け番組として、日本のアニメの数を増やしたんです。ま、大変ですね。その道に詳しい人が全然いないので、字幕作りもほとんどボランティアに近い仕事ですよ。」 

国の運営に携わる立場にいること、そして日本のアニメが好き、という興味が功を奏して、日本理解への活動を彼なりに着実に進めているのが伝わってきた。もちろんそれだけで日本への認識が急速に広がるとは思わないが、こういう人もいるんだな、ということが出発直前に知ることができただけでも収穫であった。 

 短いながらも、通りすがりの日本人に時間を割いてくれたワエル氏に感謝。彼は別れ際に空港行きのバスが出るバラムケ・バスターミナルまでのバスでの行き方を教えてくれた。

 

 

  五日間かけて回ったシリア旅を終え、今僕はダマスカスの空港にいる。三番目の訪問国カタールを目指して。今まで何事も無かったことに安心し、さぁ、出国だ、と思ったその時であった。 

 「ちょっと待ったぁ~!」 

出国のセキュリティチェックに引っかかった。何で?! 怪しいモノじゃないよっ。 

 「荷物を開けな。刃物入ってるだろ。」 

職員の兄ちゃんが僕のボストンバッグを指して言う。確かに、中には先日アレッポのスークで買ったハンジャル(三日月刀)が入っていた。しかしこれは壁に飾るためのもので刃など全く付いていない。スークの売り子だって、飛行機に持ち込んでも大丈夫だと、太鼓判押していた。全然大丈夫じゃないじゃん~! 結局ハンジャルは現地到着まで没収されることに。ドーハに着いた時に税関に言えばすぐ返してもらえるから、なんて兄ちゃんは気楽に言う。ほんとかなぁ。そんなこんなでとにかく三番目の訪問国、カタールはドーハへ出発だ。   

 

 今回わざわざ経由地であるバーレーンから横にそれてカタールを目指したのはふとした縁であった。その話は追ってするとして、期待を胸に到着したドーハ空港はものすごい人混み。世界中の人種でごった返している。アラブ人はもちろん、インド人、パキスタン人、中国人、フィリピン人、ネパール人、韓国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人にアフリカ人。特にアジア人は外見と雰囲気、ちょこっと発する一言でどこの人かすぐにわかるようになったのはアジア旅経験の積み重ねゆえか。とにかく地球上のあらゆる人種が全く行列を作らずにある一箇所のゲートに向かって万博会場のように押し合いへし合いしているのだ。当初列を作るようにあちこちに張られていたビニールテープは全く意味無し。みんなテープの下をくぐってどんどん前へ。しまいにはそのテープもブチッと切れてしまう始末。こんな状態なのに、やれ足踏んだだの、やれ割り込んだだのでケンカが全然起こらないなんて、世界って思ったより平和じゃないの。何て感心してる場合じゃなかった。朝の中央線状態で身動き取れない僕、とにかく流れに任せてゲートの方へ向かい、そして出た。出た所で改めて見るゲートの看板。何っ?! トランスファーだって? ここにいた世界中の人々、みんなただの経由だったの? 僕は経由じゃなくて入国するんだよ! インド系の係員にそうまくし立ててもう一度ゲートの内側に戻らせてもらう。僕が行くべきイミグレーション窓口、そこは人っ子一人いないガラガラ状態。入国審査官はのんきにケータイでおしゃべりなんかしちゃっている。 

 「入国ビザは55カタール・リアルです」と女性審査官。あ、バーレーンと同じくここでビザ取るのね。USドルで払っていい? 僕がそう言うとダ~メ!と審査官。でも今カタールに来たばっかだからカタール・リアル無いんだよ。 

 「なら、マスターかビザカードで支払って。」 

アメックスしか無いんだけどダメ? 

 「ダ~メっ!!」 

全く、アジア全域でアメックスは弱いなぁ…。じゃぁ、どうすればいいの~? 

 「あっちの銀行に行ってプリペイドカードを買って持って来なさい。」 

そう言って遥か遠い換金所を指差す。もう、面倒臭いな~。こんなことやってるからみんな経由するだけなんだよ! なんてブツブツ言いながら換金を済ませ、カタール銀行のプリペイドカードを持たされる。

 そんなこんなでやっと入国できた僕、次の税関で例のハンジャルのことを話した。すると税関は近くの窓口を指して言う。 

 「そーゆーことは紛失物受取口に行って話して。」 

はぁ? 機内に預けたものなのになんで紛失物になるんだよ。納得いかないながらも、この国ではそういうルールなのかと思い、紛失物窓口へ行く。そこではカタール人らしき白装束の男とインド系の係員が長々と何かやり取りしていた。しばらく待った後でやっと順番が回ってきて、ハンジャルの件を話すと、連中は一言。 

 「その件はこっちじゃなくてバゲッジクレームの方に行って聞いて。」 

またしてもたらい回し。イラつきながらもバゲッジクレームの方に行ってみたが、入国に時間がかかっていたため、僕の搭乗したフライトの荷物受取は終了していた。しかもそこには一人も係員がいない。頭に来てもう一度紛失物窓口へ戻って怒る! 

 「バゲッジクレーム、誰もいないよ。どーすりゃいいんだよ!」 

窓口にすごむと、「じゃぁ、ハンジャルを預かった時の引換えを持ってますか?」と窓口。あの時、ダマスカス空港の職員はあのハンジャルを預かるだけ預かって何も引換えをくれなかった。 

 「引換えが無ければこっちもどうしようも無いですよ。」 

だってもらわなかったんだよ、と言ってもこれではもうラチがあかない。一旦ここを出てアリさんに会ってから相談しよう。

 アリさんというのは、僕が愛知万博に行った時に出会ったカタール館の案内人。例の白装束を着た彼は館内で記念切手を配っていた。ちょっとおしゃべりした際に、近々中東を旅するので、もしかしたらカタールに寄るかも、と言ったら、カタールに来たら案内するから連絡してくれ、と名前と携帯番号を教えてくれたホスピタリティいっぱいのカタール人である。今回の旅の件を連絡し、彼は今日空港に迎えに来てくれることになっていた。早速のトラブル、アリさんの助けを求めよう。僕はとりあえず荷物を担いで出口に出た。 

 しかし…。アリさんの姿が見えない。彼と同じ白装束の人はいっぱいいるので何度も探してみたが、アリさんはやっぱりどこにもいないのだ。こりゃ踏んだり蹴ったりだな。ここまで来てアリさんに会えなけりゃ、こんな物価の高い車社会のカタールでどうすりゃいいんだ。よし、電話しよう。もしかしたら僕が出て来るのが遅くて帰ってしまったのかも。そこで公衆電話の方に行ってみたが、どれもみんなカード電話。カードを持っていない僕はこれを使うことができない。出口周辺にはホテルの出先やタクシーサービスの窓口があったので、どこかで電話を借りようと思った。しかし彼等は一様に言う。 

 「その電話は市内電話ですか? 携帯電話ですか?」 

えっ? 携帯電話だけど? 

 「すいません。ここの電話から携帯へはおつなぎできません。あそこの公衆電話を使って下さい。」 

じゃぁ、テレカはどこで手に入るの? 

 「この辺に売店はありません。隣のビルにあるかも知れません。」 

どこの窓口もみんな同じことを言うのだ。彼等事務員はみんなどこかしらの外国人労働者なので、中にはどうせ同じ外国人じゃん、と思ってバカにしたような態度を取る者もいた。カタール人にはヘコヘコしてるくせに。仕方無く隣のビルへと足早に向かい、売店を探す。しかしどこにもそれらしき場所は無い。くっそ~、何だカタール、ここは地獄か! 暑さ、不安で汗だくになった僕は空港で一人、呆然としていた。

 ふとカタール航空の窓口を発見。ダメもとであそこに行って電話を借りてみよう。早速駆け込む。窓口には中国系のおばさんが一人、インド系の無愛想な感じの男が一人いた。慌てていた僕は話す相手間違えて、インド人の窓口に行ってしまった。 

 「すいません、電話を貸してもらえませんか?」 

インド人の男は無言でしばらくブスッとした顔で僕を睨み、一応うわべだけの丁寧な英語で言った。 

 「それは市内電話ですか? 携帯電話ですか?」 

来た来た。ケータイじゃダメだって言いたいんだろ? 僕は多少演技も加えて大慌ての様子で言った。 

 「今ちょっとトラブルに直面してるんです。どうしてもこのアリって人に連絡を取らなければなりません。どうにか方法はありませんか?!」 

インド男は睨むような目つきで僕を一瞥し、すっご~くイヤそうな顔しながら、ポケットから自分の携帯を取り出し、小さい声で「何番?」と聞いた。僕は必死な思いでアリさんの携帯番号を教えた。インド男はその番号をプッシュすると、ほれ、と言って携帯を僕に手渡した。あ、ありがとうございます~! 僕は抱きかかえるように携帯を受け取った。 

 「おお、Ling Mu! 一体どうしたんだ。ずっと待ってたんだぜ!」 

受話器の向こうからアリさんの巻き舌目立つ英語が聞こえてきた。助かった! 助かったんだぁ! そんな思いで僕は今の状況を伝えた。彼はやはり僕がいつまで待っても出て来ないので、来れなくなったのかと思い、一旦市内へ帰ってしまっていたのだった。そんなわけで20分後にもう一度空港に来てくれることになった。これでやっと旅行者の自分に戻れる。。安堵と疲れで近くの椅子にへたれこむ。。

 「オハヨゴザイマス!」 

おお、万博でも聞いたアリさんの挨拶! 相変わらず石油王のような白装束! かくして無事に再会できたのだった。とにかくここはクソ暑いので話は後にしようと、取り急ぎ彼の運転するランドローバーの助手席に乗りこんで空港を出発した。

 

ここカタール、実は12月にアジア大会が行われるので、街中が建設ラッシュ。あっちもこっちも夜通しで道路を掘り返し、クレーンやドリルの音を響かせている。もちろん道は夜だというのに大渋滞。 

 「外国人は公道しか知らないからこうやって渋滞するんだ。その点、地元民ならいっぱい近道を知ってるんだよ。」

アリさんはそう言って道沿いにある倉庫の横から細い路地を通って渋滞を見事に切り抜けてくれた。さっすがカタール人! で、今夜はどこに行くんだろ? 彼の家かな。それともどこか手頃な宿を紹介してくれるのかな。そうこうしているうちに一本道の向こうに超高級ホテル「マリオット」の電光看板が見えた。彼の家はマリオットの駐車場を抜けた向こうにあるのかな、僕はそう思った。しかし彼はこの駐車場でスピードを落とし、停める体勢に入っているではないか。 ア、アリさん…。ここってちょっと高いんじゃないですか? 僕は恐る恐る言う。 

 「なぁに、大丈夫、大丈夫!」 

アリさんは陽気にそう言って一郭に車を停めた。あなたは大丈夫だろうけど、僕は大丈夫じゃないんだって。日本人、みんなが思うほど金持ちじゃないんだよ~。アリさん、自信満々にマリオットの入口の方へと歩き出す。突然のカタール人の出現にドアボーイがかしこまって扉を開く。扉の向こうには何と、空港のセキュリティチェックのようなX線設備がどーんと置いてある。お~い、こんな所、初めて来たよぉ。。もしかしてアリさん、このホテルと顔がつながってて、今回割引してもらえるのだろうか。最悪はアメックスがあるので、何とかなるとは思うが・・・。名門ホテルだから、アメックス通じるよね…?

 「ああ、君はそこに座っていたまえ。私がチェックインしとくから。」 

アリさんはそう言って僕をフロント前のソファで待たせ、自分だけフロントに行く。座っていたまえって、泊まるのは僕だから前金とかサインとかしなきゃならんでしょ。そう思ってフロントの方に歩き出した時だった。 

 「いや、いいんだよ。今度私が日本に行く時は宜しく頼むぜ。」 

アリさんは笑顔でそう言ってサイフからカードを取り出した。ええええっ! こんなホテルにタダで泊まっていいって~? 何て太っ腹なの?! 

 フロントは東南アジア系の女性のようだったが、アメリカ人顔負けのメッチャ流暢な英語で対応してきた。明日の朝食の時間と場所を説明してくれているが、あまりにネイティブっぽく早口なので何だかよくわからない。するとアリさんはちょっと小声で女性に囁く。 

 「もっとゆっくり簡単な英語で話してやってくれ。だって彼は日本人なんだから。」 

普段そんなコト言われりゃ気に障って食ってかかる僕であるが、今日ばかりは何も言いませんよ。ごもっともでございます。英語ヘタクソな日本人に簡単な英語で教えて頂きどうも有難うございます~! と、フロントの女性にか、アリさんにか何だかわからぬままサンキューを繰り返し、とりあえず部屋に行ってみた。

 

おお~、広いっ! ジュウタンもフッカフカ。ここに寝たって十分気持ちよさそう! ベッドもでかい。マクラが六つも並んでる! 大の字に横になると、マシュマロのように柔らかくて、腕をベッドの上に乗せたら、腕の部分だけスゥ~っと沈んでいくかのよう。これなら1分でグッスリだな。壁掛け式の特大液晶テレビ。この画面を使ってインターネットもできる! 何てゴージャスなの?! おっと、いけない。下で待ってるアリさんとこれから夕食だ。場所はホテル一階にある多国籍料理のビュッフェ。ステーキから小竜包、更には寿司まで世界中の食が揃ったレストランで、アラブの琴カーヌーンの調べを聴きながら、しばしアリさんと談笑。明日のプランを少し相談した。いや~、到着当初、ここは地獄かって言ったの撤回! 地獄から天国に来てしまいました。ああ、忙しい…。

 

 「オハヨゴザイマス!」 

アリさんと別れの挨拶を交わした後、僕は一人あのゴージャス過ぎる部屋へ戻った。「地球の歩き方」にも載っているこのホテル、一泊のお値段はざっと約4万5,000円ときた。ああ、明日の朝にチェックアウトはもったいない~! 空港の一件で本当はかなり疲れていて眠かったのだが、しばらくガマンしてこの夢空間での時間を満喫する僕であった…。

 

ああ、満足、満足! まぁ、ホントにアリさんがまた日本に来るものなら、それはそれでちと怖い気もするが、とりあえず満足、満足!…の夜であった。