第十四回 「熱風アラビア道中」
          
(バーレーン・シリア・カタール編)

Bahrain

Syria

Qatar


バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日

訪問地:マナーマ、ムハラク

 

シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間

訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ

 

カタール旅の期間:2007年5月4日 1日

訪問地:ドーハ




ドーハ: オハヨゴザイマス!

 

翌朝、8時頃にセットした目覚ましで起床。外の音が一切遮断された分厚い窓、眠るにはちょうど程よい設定の冷房、そしてフカフカ過ぎる広大なベッド。この状況下、自分の力で目を覚ます自信はどこにも無かったのだ。 

 窓から一階を見下ろすと、巨大なプールが一面に広がっている。あのアクアブルーの空間へここからダイビングしたい気持ちに思わずなってしまいそうだ。シリアにいた時には想像もしていなかったこの幻想的な光景にしばしボ~っと我を忘れていると、急に部屋の電話が鳴った。社長さんの席のような立派な机に置かれた電話である。椅子の肘掛に手を置き、コホンと咳払いなどして受話器を取る。寝巻姿でなければサマになっていたと思う。 

 「オハヨゴザイマス!」 

おっ、アリさんだ。 

 「よく眠れたかい? さて、今日なんだけど、実は数日前に叔父が亡くなり、葬儀やら何やらが続いていたんだ。その関係で今日もモスクで何人かの親戚と集まるんで、案内はその後になりそうだけど、いいかな? 極力午前中…、そうだな、11時頃にはまた連絡するよ。」 

もちろんですよ、僕は即承諾。そんな事情とは知らずにやって来てしまった僕こそ何だか申し訳無い。時計を見ると、何だかんだでもう9時。一人で外に出てもいいのだが、特に行くあてもない。ヘタに表に出てアリさんからの電話を取り逃してしまうことだけは避けたい。僕は彼からの電話があるまでホテルでくつろぐことにした。 

 ここからかなり上の階にある食堂に入る。円形のフロアで、壁は全て窓ガラス。スーツ姿の欧米人ビジネスマンに混じり、パンとコーンフレークを口に運びながら、眼下に広がるドーハのパノラマ風景を眺め、わかりもしないアラビア語の地元新聞をわかったように目を通す。何とも優雅な朝食だ。 

 その後は自室のベッドにダラ~ンと寝っ転がり、何も考えずにひたすら休憩…。天から授かったと言ってもよいこの天国気分を味わい尽くさなきゃ。

 

 時が経つのをしばし忘れていると、やがて再び電話が鳴った。11時を少し過ぎた時だった。 

 「おお、Ling Mu! 今終わった所だ。これからホテルへ迎えに行くよ。」 

 「了解です。待ってますね!」 

さて、これからカタール散策が始まる。天国気分もいいが、最後に一日割いてドーハに来た目的はこの国をざーっと見ることだ。シリアにいた時とは大幅にスタイルは変わるが、旅人魂に再び火が着いたのだった。

  ホテル入口にさっそうとやって来た白装束のアラブ人、アリさんが登場した。やはりこのGCC(湾岸諸国)系スタイル、目立つ。この国の男性はほとんどこれを着ているから目立つというのは語弊があるが、従業員はほとんど外国人なので、この服から噴き出す「オレは地元民だ」、というアピール感がすごいのだ。僕も彼の服のオーラに包まれ、何となく守られているような錯覚に陥ってしまう。ともあれ、夕べと同様彼の運転するランクルに乗り込むと、一路ドーハ市内のスークに向かった。

 

 近く開催されるアジア大会の準備のため、どこもかしこも改装工事中のドーハ。観光のドバイ、金融のバーレーン、石油依存のクウェートに対し、カタールは国際イベント開催地という切り口で独自性をアピールしている。そんなこんなでバーレーンと同様、目に入るのは照り返しの眩しい道路に渋滞する車ばかり。古いアラブ的なものはほとんど見当たらないが、せめて見た目だけでも面影を残しているのがスークだ。砂を固めて作ったような店舗街に香辛料や衣類を並べた店が並ぶ。建物の壁からは骨組のパイプがむき出している所なんか、古いアラブ建築らしい。もっとも売り子の多くは現地人ではなく、イラン人が多いようだが。

 途中「鷹屋」さんを見つけた。台の上にとまった四、五匹の鷹は時たま首がピクっと動く以外無駄な動作は全く無いので、最初置物かと思ってしまった。普段は何も見えない状態にしておくのがよいのか、鷹達は目隠しのヘルメットをかぶせられていた。一羽何と最低でも50万円はするらしい。アラビア半島を中心に鷹狩は男のたしなみとも言えるスポーツ。以前海外を紹介するテレビ番組で、仕事中に「鷹狩雑誌」をむさぼり読み、午後3時に退勤して鷹の世話や鷹狩の練習に意気込む能天気、いや、趣味に生きるドバイの公務員のことが取り上げられていたのを見たことがある。アリさん自身はやらないが、鷹狩をこよなく愛する友人はいっぱいいるそうだ。金がかかりそうなスポーツだから一種のステイタスシンボルなのかも知れない。

 

 赤と黒を基調としたベドウィン風の荒い毛糸の織物がテーブルや椅子を彩るカフェがあり、そこで休憩していると、小学生の一団がやって来た。何人かの先生に引率され、白いブラウスとピンクのスカートの制服がかわいい6, 7才の女の子達だ。遠足か社会科見学の途中休憩だろうか、皆同じ缶ジュースを飲みながら元気におしゃべりしていた。アラブの少女は大きな目をしていて皆かわいい。あと数年後にはベールで顔をすっぽり覆ってしまうのか。なんて思いながら写真を一枚撮らせてもらっていると、アリさんが思い出したように言った。 

 「そうだ、私も子供を迎えに行かなくては。ではこれからピックアップしに小学校へ行き、その足で私の家に行こう。」

市内観光、次の目的地はカタール人のお宅訪問と相成った。途中小学校に立ち寄って息子さんを車に乗せた後、一路彼の家へと向かった。閑静な住宅街はその小学校からそれほど遠くはなかった。これなら徒歩で往復できるじゃないか、と日本の感覚では思ってしまうが、何せ連日この猛暑だし、そうもいかないのだろう。 

 ここでカタールにおけるビックリ制度を一つ聞いた。カタール国民は成人すると国からタダで家と土地をもらえるらしい。それも結構な豪邸を、である。この国の居住者人口は約200万人と言われるが、国民人口は28万人と極めて少ない。石油と天然ガスの力で28万人だけを豊かにするのは容易なことなのだろう。しかもアリさん、タダでもらったその家は賃貸にしており、その収益で新たに購入したもう一軒の家がこれからお邪魔するご自宅なのだそうだ。

 

 立派な戸建ての家のドアの呼び鈴をアリさんが押すと、フィリピン人のメイドが一人出て来て、息子さんをダイニングに連れて行った。そして僕はアリさんに応接間へ案内された。国の制度を聞いた直後に実際のお宅を拝見してまたまたビックリ。それはそれは豪華なソファが壁沿いに四つ。ソファとソファの間にはおしゃれなティーカップが乗ったサイドテーブルが置かれている。足元が埋まりそうなフカフカの絨毯に癒される僕を、天上からシャンデリアが照らしてくれる正にセレブな空間であった。夕べ泊まったホテルの豪華さに10年分の感動を味わった僕は、ここでの感動が半減してしまっていたことを悔やんだ。何と贅沢な悔やみ。きっとたまにカタール人の友達を沢山呼んでは男性だけの宴会を開くのだろう。そしてこの家にはきっと他にもこんな部屋があり、そして女性限定の部屋もあるに違いない。なんて今来てすぐにあれこれ聞くのもちょっと気が引けたので、見たものをもとに想像するだけに留めておいた。

 

 

 アリさんはこの部屋で伝統的なアラブコーヒーを振舞ってくれた。しかしこのアラブコーヒー、僕の思っていたものとはかなり違うものだった。鶴の頭のように尖った金属製のポットからお猪口のように小さなカップに注がれたそのコーヒー、やや透けた薄茶色をしている。一瞬これはお茶ではないか、と思ってしまう。もっとトロっとした濃いやつじゃなかったっけ? 確かシリアやレバノンで飲んだのはそんな感じだった。

 「あれはトルココーヒーだよ。」

オスマン帝国が中東全土を支配した歴史から、トルコ式が主流になってしまっているが、本来のアラブコーヒーはこのようなものらしい。中国茶を飲むように口をすぼめてすすってみると、少し酸味のある味であったが、高貴な香りが後を引き、何だか白装束だらけのアラブパーティーに出席している幻を見てしまいそうな束の間のお宅訪問であった。   

 

 さぁ、君は今日一日しかカタールにいないんだから、早速街を見に行こう。アリさんにそう言われてハっと我に返った僕、いそいそと車に乗り込んだ。どこへ行きたいかと聞かれたので、僕はついカタール・ポップスのCDかテープを売っているお店に行きたいと言うと、彼は近所の通りにある小さなカセット屋に案内してくれた。案の定店員はインド人らしく、どれがカタールのものかよくわかっていないようだ。するとアリさんが何人かカタール人歌手の名前を言ってくれたので、三つか四つカタール・ポップスのテープが目の前に並んだ。やや伝統色のある湾岸チャカポコ系の有名歌手アリ・アブドル・サッタルや、今売り出し中のポップス系歌手サード・アル・ファハド、他に何人かの歌手の歌が入ったオムニバス・アルバムもあった。これらはプレゼントするよ、とアリさんはここでもポケットマネーで買ってくれた。ホントに、ホントに頭が上がりません…。

  ここからはしばらくドライブであった。 

 「あそこにあるのが王宮だよ。」

アリさんが指差した時にはその建物は既に遠ざかっていた。カタール国民なら王宮に行って、この国の君主であるハマド首長に直接陳情できるらしい。するとハマド首長は陳情に対して自ら期限を作り、それまでに回答するとその場で約束する。指定した期日に再び王宮に出向くと、首長がきちんと対策案を説明してくれるのだという。どこまで本当なのか、本当に誰でもいいのか、どんな陳情でもいいのかは定かでないが、世界中どこのどんな民主主義国家でも、ここまで国民と近い距離で奉仕してくれるリーダーはいないのではないか。絶対王政と言うと一族支配の独裁をイメージするが、良心的な独裁者であれば、そのワンマンな手腕を良い方向に発揮させて、結果的に「幸せな国」を作ることは可能なのではないか、と思ってしまった。もちろん膨大なオイルマネーが後ろ盾にあることも欠かせない条件ではあるが。ま、王様と言っても、普通の国で言う市レベルの規模だからこそできうる技なのか。終身市長さんと思えばわかり易いのかも知れない。ただし、この国の歴代首長は宮廷クーデターによって政権交代をしており、文字通り最期まで勤め上げた首長はまだいない。ハマドさん体制がこれからもずっと続き、今のような政策をブレずに続けていくのか、はたまたどこかの王子に倒されて、違う国作りが行われていくのか、今後の舵取り次第でいろんなことが左右するリスクもありそうだ。

 

 「あれがアル・ジャジーラ放送局だ。そして、ドーハの悲劇があったスタジアムはあそこ。」 

ほう~、カタールと聞いてピンと来ない日本人も、アル・ジャジーラとか、ドーハの悲劇は耳馴染みあるに違いない。いずれもここカタールにある。しかしアリさん、車の車窓から見るだけじゃちょっとつまらないよ。降りて写真を撮ったりもしたいんだけど…。 

 「だって、車から降りたら、暑いじゃないか!」 

そ、それはごもっともだけど…。アラビア半島の人の価値観なのかな。だが理由はそれだけではなく、一日バーレーンに滞在した以外湾岸諸国の旅がほぼ初心者である僕がまだ知らない、この半島の常識があった。それは後程触れるとして、僕達はいつかバーレーンでも見たエメラルドグリーンの海に沿って、南国的なナツメヤシの並木が対象に並ぶコルニーシュと呼ばれる一直線道路をしばらく走っていた。海では高い波しぶきを上げてモーターボートが猛スピードで走り抜ける。その真上にはまるで競争でもしているかのようにセスナ機が飛び、右へビューン、左へビューンと慌ただしい。カタール人か、外国のセレブが遊んでいるのだろうか。僕では到底理解し得ない宇宙が見える海であった。 

 「Ling Mu、実は愛知万博の開催中、仲良くなった家族がいたんだ。ふと思い出したんで、これから電話するよ。」 

アリさんはおもむろに携帯を取り出し、突然日本に電話をかけた。地元愛知に住む夫婦と2, 3才の女の子の家族らしい。日本はまだ午前中なはずであるが、家族はみんな在宅だったようで、アリさんはそれぞれと楽しく会話していた。一通り話が終わると、今日本人と一緒なんだ、と言って急に受話器を渡された。電話の相手はその家族の旦那さんだった。知りもしない相手だけに何話していいのか全くわからなかったが、とりあえずカタールはいい所だ、アリさんもあなた方に会いたがっているようなので、ぜひ機会を作ってカタールにいらしてみては、といったようなことを話した。しかもアリさん、その家族と一緒にいる写真を何枚か持っており、日本に帰ったら彼等に郵送してあげてくれ、と頼まれた。それはお安い御用なので引き受けた。日本滞在中のアリさんが家族の家で食事したり、子供とじゃれ合ったりしているこれら写真を眺めている隣で、アリさんが彼等との関係を簡単に説明してくれた。てっきりカタールに赴任でもしていた家族かと思っていたが、彼等もまた愛知万博に見学に来た普通の日本人だそうな。カタール館でアリさんと出会って意気投合し、わざわざカタール館に行くために二回も三回も会場にやって来たという。カタールに興味を持った人には現地で案内するよと気軽に電話番号を教えてくれるお人柄、彼等に限らずきっと沢山の人と仲良くなったのだろう。それに比べると僕なんぞ、館内でほんのちょびっと話をしただけに過ぎないのだが、もっと親しくしていた日本人を差し置いてこんないい思いをしてしまうなんて、ちょっと申し訳無い気持ちになってしまった。

 

  「Ling Mu、次はどこに行きたい?」 

アリさんに聞かれた。う~ん、ガイドブックにはドーハ市内にそれほど見てみたい場所は無かった。砂漠には行ってみたい気もしたが、ここからは遠そう。今日の夕方のフライトでバーレーンへ立つスケジュールを考えても現実的ではない。そこで僕は一つ思いついた。シリアでトライしてみようと思ってできなかったこと。水タバコとも呼ばれるシーシャの体験だ。市内のどこかのカフェで試してみたくなったのだ。 

 「そうか…。う~ん、わかった。ではチャレンジしてみよう。」 

えっ、シーシャをやるのって、そんなにハードル高い話なのかな? 僕がそう疑問に思ったのは、バーレーンにたった一日いただけのアラビア半島ビギナーであるため、この地域の旅行の常識をよく知らなかったからだ。少なくとも湾岸諸国では正午から夕方の4時頃まで昼休みとなってしまう。今はまだ3時。シーシャをトライできるカフェを見つけるのは至難の業というわけだ。

 

 ともあれ、車は一軒のイスラム風の建物の前に到着。看板には「アル・ジョファラ・ギャラリー」と書かれていたが、カフェのようだった。想像通り店は昼休み中らしく、薄暗くガランとしていた。アリさんは早速車を降りて、カフェの入口にいた店員に掛け合ってくれた。さすがカタール人が言ってくれれば無理が通る。僕達が案内された席は豪華なソファのある半個室のようなスペースであった。すぐ近くの席には僕達の他に先客がいたのだが、何と黒ベールを頭にかぶった女性のグループであった。日本人の僕を見てようこそ、と手を振ってくれた。厳格なイスラム社会であるアラビア半島。飲食店では男女は別々の部屋になるのが常識。こんなに近い席にカタール人の女性グループなんて、かなり珍しいケースに遭遇してしまった。彼女等もアリさんも全然気にしていない様子を見ると、最近は少し変わってきているのだろうか。それとも営業していない時間帯ということで他人の目も無いからか。

 

 ま、いい。とにかくシーシャだ。デーツ、飲み物と一緒に1メートルぐらいの傘の無い電気スタンドのような銀色のパイプが運ばれてきた。店員は手際良く準備を始める。 

 見た感じは下の部分が花瓶のようになっており、一番上で密封されたフタの部分と瓶との境目の所からホースが伸びている。構造はと言うと、上部のフタ、つまりヘッド部分にタバコの葉を詰め込んで焚くと、タバコのフレバーが下の花瓶のようなポット部分に降りて行く。ポット部分には水が入っており、細かい仕組みはまだ把握し切れていないのだが、この水は降りて来たフレバーをホース状のパイプへとポンプのように押し出す役割を果たしている。そしてパイプを吸い込むと、ポットの水が「コポコポ」と音を立て、ぷはぁ~、とゆっくり煙を吐くと、素敵な香りが広がって、脳の隅々まで異国情緒を楽しむことができるってわけだ。このフレバーにはリンゴ、イチゴ、ライム等沢山の種類があり、シーシャを注文したら必ずどのフレバーにするかを聞かれる。その時ばかりは立派なヒゲを生やした屈強なアラブ男達も「俺、イチゴ~」、「じゃ、俺はバナナ~」と言った感じに注文するのだ。今回僕がトライしたのはリンゴであったが、中にはカプチーノとか、コーラ、チューインガムといった変わったフレバーも街中で普通に売られている。

 かく言う僕は喫煙者ではない。生まれてこのかた、いわゆるシガレットを口にくわえたことはないのだが、このシーシャ、そんな僕でも全然OKなのだ。香りも強いし、一回当たりの使用時間も長いためか、アラブ人の中にさえ普通のタバコの十倍ぐらいキツイものだと思う人がいるようだが、ニコチンはゼロ、タールは0.05%。純粋に香りを楽しむ嗜好品と言える。 

 勢い余って一杯吸い込むと咳き込んでしまったり、あまりハイペースに吸い続けると酸欠になったように頭がボーっとしてきてしまうので、おしゃべりの合間に気が付いたらくわえる程度のペースがいいようだ。

 

 サンダルを脱ぎ、ソファの上で片膝を立てたアラブ風の胡坐をかいたアリさんといろいろカタールの話をした。僕が生まれて初めて見たカタール人は、外国人が競うカラオケコンテストのテレビ番組であった。カタール大使の三人娘で、当時10才前後だったと思う。ベールはかぶらず、民族衣装姿で少年隊の歌を歌っていたのだが、子供ながら見とれてしまうほどの美人だったことを覚えている。そのためか彼女等はアンサリと言う苗字だったことも覚えていた。それを感慨深くアリさんに話すと、ああ、駐日大使だったアンサリか、それ私の友達だよ、なんてさらりと言うのにびっくり。又、アラブ各国のポップス好きな僕でも、さすがにカタール人ではアハメド・アブデル・ラヒムという歌手たった一人しか知らなかったが、その歌手も知り合いだと言っていた。少ない人口ゆえ世界が狭いのだろう。加えて知人を自宅に招いて豪華絢爛な応接間でお茶会をするのが大人の娯楽である以上、友人が友人を呼んで交友が広がるのは自然なことだ。次回カタールに来る時はアハメド・アブデル・ラヒムに合わせてよ、サイン欲しいなぁ、なんて冗談半分につい言ってしまった。でもアンサリ大使はもちろん、今は間違いなく既婚者であろう美人三姉妹に会わせてもらうことはどう逆立ちしてもムリだろうな。少年時代のときめきは甘酸っぱいリンゴの香りと共に胸にしまっておくとしよう。

 

 アリさんの職業は空港設備のシステム技術者。そんなアリさんがどうしてまた万博のパビリオンで案内役となったのか。 

 「ある時、万博出展品を海外に輸送する際に空港の設備倉庫を貸したことがきっかけで、万博関係者と知り合い、以降万博や国際展示会の手伝いをするようになったんだ。」 

来月はフランスで開催される国際展示会に出向く予定らしい。来るのが一か月遅れたらアリさんには会えなかったというわけか。万博は愛知のもの以外では筑波で開催された科学万博しか行ったことが無いが、カタール単独のパビリオンはこれまで無かったと思う。やはりカタールが最近国際社会へアピールし始めたことが大きく影響しているのだろう。当初は人手不足だったので、アリさんみたく別の職業の人にも声がかかったってことかも知れない。

  カタール観光をPRしようとはるばる愛知にやって来たカタール人の話を聞いて、興味を持った日本人が観光客として実際やって来たのだから、これはアリさんの成果と言ってもよい。彼にとっても嬉しい話だったのではないかと思う。昨日から今日にかけてのゴージャスなおもてなしは純粋にその表れではないかと思う。遠慮せず感謝して受けるのがこの国では正しいんだろうな、とふと思った。

 

 さて、シーシャの香りもそろそろ薄くなってきた。コーラやお茶も随分飲んだので、ちょっとトイレに立ったのだが、カタールのトイレ、男性用でも個室トイレしか無い。あの白装束では立ったままで用を足せないからなのだろう。

 

 時計はそろそろ4時を回った。本来この店はこれから営業開始なのだが、フライトの時間が近付いている。鼻から抜けるような甘いシーシャの香りに引き止められそうになりながらも、気持ちを切り替えて引き上げることにした。荷物を取りに一回ホテルに戻り、そのまま空港へ。出国のイミグレは長蛇の列となっていたが、何とアリさん、イミグレの審査官のいる所まで僕を誘導したかと思うと、近くの係員に一言。 

 「やあ、彼は友達だから、ちょっと入れてやってくれ。」 

すると何と、今手続き中の人のすぐ後ろに入れてもらってしまったのだ。あの係員とアリさんが親しかったのかも知れないが、さすがカタール人。この国では不可能を可能にする怪力を持つ。申し訳ありません、世界各国の皆さん。出国の順番がもうすぐ回ってくる状況となったので、彼との別れはあっという間だった。 

 「オハヨゴザイマス!」 

 「何から何まで、いろいろありがとうございました! 素晴らしい時間を過ごせました。」 

ぜひまた日本に遊びに来て下さい、と言う言葉は口から出るちょっと手前で線香花火のように消えてしまった所は小心者であったが、それでもできる限りの感謝の言葉を述べた。彼に助けてもらおうと思っていたハンジャル紛失の件も、どうでもよくなっていた。

 32度の熱風を浴びながら飛行機のタラップを昇り、この数日間ですっかり赤黒く日焼けした自分の腕をじっと見て夢じゃないことを確認しながらも、この夢のような世界に別れを告げた。乾いた中東の空を飛び立ち、バーレーン、香港を経て、東京に向けて帰路を急いだのだった。  

 

 今回はアラブ三か国を駆け足で見て回った。この道中で一番感銘を受けたのは、やはりアラブの人々の底抜けの親切さである。まだアラブ世界のごく一部の国しか訪れてはいないが、特にシリアはその点についてピカイチだと確信している。僕は以前に旅したミャンマーと重なる部分が多く感じられ、密かにシリアを「中東のミャンマー」と呼んでいた。ミャンマーとシリアをいきなり結びつけるなんて、きっと僕だけのものだろうと思っていたら、帰国後に友人とその話をすると、旅先で出会ったバックパッカーから何度か同じようなことを聞いた、と言うのだ。閉鎖的な独裁国家ほど人々は純朴で、古き良きものを持ち続けている傾向があるようだが、その点ではこの二カ国は確実に共通していると思った。グローバル化が進む中、いつまでも鎖国的な体制を維持していくことは困難であり、これからどう変わっていくのかはわからないが、この優れた人格的資源はいつまでも大事にしてほしいと願う。その大事な資源が皮肉にも世界遺産の存在によって劣化してしまったパルミラという例も見てしまったからこそ、心からそう願う。

 

 「人をもてなし、助け合う心」がアラブ世界では非常に大きな価値を置いていることはわかった。砂漠の民として生きてきた歴史とイスラムという巨大な哲学がそれらの形成に大きな影響を与えたのだと思うが、今回旅した一週間の中で、道案内と引き換えに外国への渡航費を求められたり、一泊数万円する高級ホテルに招待されたりを体験した僕、日本的常識という天秤に見合った助け合いとはスケールが異なるので少し違和感もあった。それは仕方無い。バシールには朝食を一回、夕食を二回ご馳走したがそれ以上の金は払わなかった。アリさんにはカタール滞在中ゴージャス過ぎるおもてなしを頂き、結局カタール・リアルはほとんど使う機会が無かった。無理を感じる要求ははっきり断り、嬉しいご好意は有難く頂戴する。身勝手かも知れないが、それでいいんだと思う。僕はどう逆立ちしてもアラブの天秤で物事を測ることはできないのだから。無理か、嬉しいかは日本人の、いや、僕自身の天秤でしか判断はできない。

 

 僕の頭の中では次回の旅先がルーレットのように回り始めた。どうやら次回もアラブの国になりそうである。  

(完)