第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




七日目: 砂漠とオアシスを駆ける

 

オマーンの首都マスカットを出て一直線の道路をひた走る四駆。今日僕はワヒバ砂漠、そしてオアシスへと向かっている。色黒の運転手兼ガイドさんは体格良くて一見コワモテな感じだが、冗談一つ言わない真面目な人。ガイドだというのに、こちらから聞かなければあまり説明をしてくれない。時たま「あれはモスクだ」とか「あれは工場だ」とか風景に映る建物を指差して教えてくれるが、ほとんどは見ればわかるよって感じ。でも逆に言えばあまり干渉してこない人なので、じっくり車窓の風景を眺めてリラックスする時間ができた。

 

 途中無残に破壊された家をいくつも見かけた。中には真っ二つに割れた状態で放置された車もある。この平和なオマーンで戦争でもあったの?! 聞いてみると、これは先月この国を襲ったサイクロンによる被害だという。そう言えば昨日修理中だと言って門前払いされた巨大モスクも、修理の理由はサイクロンによるダメージだったらしい。日本にいるとサイクロンってイメージが沸かなくて、強い台風みたいなもんだろ、って程度の認識しかなかったが、この被害状況は激し過ぎる。死者もいっぱい出たのかも知れない。ちなみにオマーンにサイクロンが直撃したのは初めてだったそうだ。

 しばらくすると車はミントリブという小さな町に到着。この町の郊外にワヒバ砂漠が広がっているわけだ。四駆は自動車修理屋に立ち寄り、砂丘でも走れる大き目のタイヤに交換する。その合間にガイド氏は携帯を取り出してどこかに電話をしていた。

 「あ、もしもし、お世話になります。今到着しましたので、先に待機していてもらえますか? では、よろしく。」

アラビア語でそのようなコト(もちろん一言もわからないが、推測)を話していた模様。何かあるゾ、とは思っていた。

やがて車が走り出すと、小さな町の建物は段々と少なくなり、道の輪郭は砂に埋もれるかのように少しずつ消えて無くなっていく。やがて車体がちょっと盛り上がった場所に乗り上げたその時・・・。見渡す限り赤い砂だけの世界が広がっていた。サラサラの砂。ほんとに砂時計みたいな砂のみが強い日差しの下に果てしなく広がっていた。思わず車から降り、一掴み砂を拾ってみる。熱っ! まるで水が流れるかのように、手のひらの隙間から砂は瞬く間に流れ落ちたが、あまりに熱くて長時間は触ることができない。だがよく見ると、砂の色は赤だけでなく、茶色や白、そして黒がごちゃまぜになっている。だから視界に入る砂丘も決して一色ではなく、異なる色の砂がちょうど波の形を描いているような幻想的な世界を演出しているのだ。

 

長く触っていられないサラサラの砂


ワヒバ砂漠にて

 

所々でラクダがつながれていた。昔動物園で見たのはフタコブで毛皮に覆われた中国方面のラクダだったが、中東方面のヒトコブラクダは初めて。カメラを向けると、まるで恥ずかしがるように後ろを向いたりするところが人間っぽくて可愛らしかった。中にはマスクしているラクダもいた。こんな砂漠で花粉症?! いやいや、彼等はレース用のラクダだそうで、普段は人間よりもいい物を食べてるらしい。なのでそこらへんのばっちい物を口にしないようにマスクをしてるのだそうだ。 砂漠の見所の一つ、それはこの過酷な環境で暮らすベドウィンと呼ばれる遊牧民。普段はこの砂漠のいろんな所にテントを張っており、彼等を訪ねて交流をするのも砂漠ツアーの一つの目玉である。しかし・・・、オマーンの真夏は過酷。今この時期、ベドウィンはあまりに暑過ぎるので、軒並み町へ逃げてしまっているのだという。よって本日ベドウィンは留守です。。ハイ、残念でした。

  そんなぁ~! ベドウィンって勇敢な砂漠の民でしょ? 夏になって暑いからって町の親類を尋ねて居候して、その間ナツメヤシを売ったり、庭師なんかして生計を立ててるなんて、ああ、ベドウィンのイメージが・・・!と、その時である。車は砂漠にぽつんと不自然に立つ一軒の小屋に到着した。小屋からひょこっと出てきたのはベドウィンの三人家族。僕はガイド氏の電話を思い出した。彼は町に逃げたベドウィンを携帯で呼び出し、砂漠に「出張」させていたのであった。さあ、どうぞ、と、ガイドさんがまるで自分の家かのように、ベドウィン家族との挨拶もそこそこに小屋の中へと案内した。中は絨毯が敷き詰められ、真ん中には彼等の手作り品と思われる土産物が無造作に並べられていた。ガイド氏が僕にアラブコーヒーを注ぐ中、家族は小屋の隅っこで身動き一つせず、僕が買い物するのを待っているかのように無言でじっと見守っていた。出張サービスの観光ベドウィン。悲しいけど、これもまたある意味本物のベドウィンなんだね。 

 売っていた民芸品は全て羊毛を使った敷物やテーブルクロス、バッグや携帯ケース等だったが、どれも網目が粗く、チクチクして実用性に欠けるものばかりであった。その上値段はどれも4,5千円前後と高い。僕はワヒバ砂漠に来た記念として、この辺り一面にある美しい砂をフィルムケースに詰めてきたが、もしガラス製の「小さな小瓶」でも何本かここで売っていれば、正にワヒバの砂をそれに詰め、いい「お土産」にできるのになぁ。。このベドウィン家族にそうアドバイスしたい気分だった。

 結局何も買わず小屋を出た。車に乗るとガイド氏、意外にもここで急に本領発揮! 巧みなハンドルさばきでこの起伏激しい砂丘を登ったり滑り降りたり。絶叫マシーンのようなエキサイティングな一時をしばし味わった。「これでいいか? ハッピーか?」ガイドは聞く。ハッピーかと聞かれると、期待外れな部分も多かったけど、ま、砂漠初体験だったからよしとしましょう。季節が悪かっただけだもんね。

 

 砂漠から出るとまたすぐに岩山が現れた。オマーンって不思議な土地である。その岩山のふもとにワディ・バニ・ハリドという村がある。ここは地下水が湧き出てできた美しきオアシス。周りを岩に囲まれながら、なぜかそこだけヤシの木が生い茂る緑の世界。カラフルな民族衣装に大きな水瓶を頭に乗せた村人達が行過ぎる中、地元オマーン人のピクニック客が沢山やって来ている。エメラルドグリーンの大きく美しい溜池が至る所にあり、地元の人々が奇声を上げながら岩場から飛び込んでいる。砂漠から来た僕にはこのオアシスがとてもまぶしく、この水に浸かりたくなった。

 


ワディ・バニ・ハリドに広がる溜池 

 

ワディ・バニ・ハリドに広がる溜池

  何せプールではないのでつかまる場所も無いから、恐る恐る足を水に入れ、チャポンっと入ってみた。ふ、深い! 背の立つ場所はどこにも無いのでちょっと怖かった。でも涼しくて気持ちいいから、仰向けになってしばらく泳いでいると、少し離れた所で泳いでいた地元の若者の一団がこっちを時々チラチラ見ている。注意を引こうとしてるのか、ワッ、ワッ、と時々奇声も上げる。水に浸かって気分がよかったので彼等に手を振ってみると、向こうも手を振り返してきた。僕はクロールで彼等の近くまで泳いで行った。

 「ハロー、マルハバ~(こんにちは)」。軽く挨拶を交わすと、彼等はちょうど溜池から上がる所だった。よかったら一緒に来いよ、と言うので、僕もノリでついて行った。溜池から少し離れた場所にゴザが敷いてあり、そこが彼等の休憩場所だった。ゴザの真ん中にはインディカの白い米が山のように盛られ、彼等は右手でそれをつまんで団子状に整えてから口に運んでいた。どうぞ、どうぞ、と勧められて僕も少しつまんでみるが、日本の米と違ってパサパサしており、団子の形にはとてもできなかった。

 「オレはモハメッド、こいつはアハメッド、そいつはアブデルマジド、あいつはアブデルアジズ、その隣がムスタファ、その隣がイサク、そしてアユーブ・・・。」

 

 彼等はその場にいた面々を紹介してくれたが、何せ人数が多いので一人一人の名前は右から左に通り抜けてしまった。とりあえず彼等はマスカットの青年サッカークラブのメンバーらしい。みんな「ナカタ、ナカムラ、カワグチ、タカハラ!」と日本のサッカー選手の名を口々に挙げてくれた。この時、僕は一瞬「アジア」を感じた。ヨーロッパ人ならせいぜい中田ぐらいしか知らなかったかも知れない。だがオマーンはオリンピックやW杯のアジア予選で度々ぶつかるから、日本選手の名を耳にする機会が多いのであろう。僕もオマーンの選手を一人ぐらい知ってればよかったなぁ。

 

地元の青年達としばし交流

 

一体どこに行ってたんだ、いきなり溜池から消えたから探したんだぞっ! 元いた場所でずっと待っていたガイド氏に怒られてしまった。まぁ悪かったけど、いいじゃないの。こうしたちょっとした出会いこそが、旅では正にオイルなんだから!

 休み明けは日が暮れると道が渋滞するから、ということで車はマスカットに引き上げ、砂漠&オアシスツアーは終わった。帰り道、疲れた僕はほとんど車内で眠ってしまったが、ほんの一分ほど、急に雨が降ったので目が覚めた。降水量ゼロの荒野に一瞬見えた幻の雨であった。

 

マスカットに戻った僕、まだ陽は落ちていなかったのでホテル近辺の市場等を軽く散策した。カセットテープ屋でオマーン・ポップスのテープを探したが、見つけるのに一苦労だった。頭にターバンを巻いた少し年増の色黒の男のジャケットのテープがどうやらオマーンのもののようだったが、地元でもあまり知られていないし、音楽的にも垢抜けていない。ちょっとノリのいい曲でも河内音頭のような村祭り的歌謡曲であった。ま、それでも他のアラブの国では絶対に入手できないものなので一応収穫だ。しかしそれ以上の大収穫はテープではなく、店をきりもりする若い女性店員が写真撮影に応じてくれたことだった。保守的なイスラム王国であるオマーンで女性を撮影するのは結構厳しい。頭にベールをかぶっていたが、少しはにかみながらも、棚に所狭しと並ぶテープを背景に写ってくれた。

オマーン女性の写真撮影に成功!

ドバイのように大規模なショッピングモールは見当たらず、せいぜい町のスーパーマーケット規模の店しか無かったので、フラフラと覗いて回った。別段オマーンらしいものは売っていなかったので通りに出てベンチで一休み。オマーンはドバイより少しはましだが、やはり外国人労働者が多くて見慣れてしまっているためか、地元民が僕のような日本人に関心を持って声かけてくるってことはあまり無いのが少し淋しい。そう言えば似たような所に行ったことがある。香港とか、マレーシアとか、シンガポール。外国人が浮かぶことないほど多民族が共存しているこれら国々にアジアの未来を見たような気がした。この未来化したアジアの国は中東の方にも数多くあることを知った。いざそんな国々に身を置くと、うっとうしいながらも周囲の人にジロジロ見られてあれこれ声をかけられるインドやパキスタンが懐かしくもなる。インドと言えば、ちょうど僕の隣に一人のインド人が座っていた。

 「暑いですね~。」

 「はい。」

 「この辺にアラブ料理を出してるレストランってありますか?」

 「いえ、知りません。」

 「お宅はインド人ですか?」

 「はい。」

 話しかけてみたものの、会話はあっけなく終わった。何だか丸の内にいる見ず知らずのサラリーマンにでも話しかけたような錯覚を覚えた。むしろ丸の内のサラリーマンの方がもう少し会話ができたかも知れない。湾岸諸国、やはり一人旅するに適した場所ではないのかもなぁ、と感じた一瞬であった。

 

夜、先日アル・ワファ・ホテルで出会った日本人旅行者Hさんと合流し、オマーン料理店「ビン・アティーク」で食事。店内は全て個室になっていて、座敷である。伝統的なアラブ様式なのだろうが、日本人には何とも懐かしい雰囲気で、部屋の隅っこにあるテレビなんてスイッチ入れたら野球中継でも始まるのでは?! と一瞬思ってしまうほど。僕達がここで味わったのはアラブカレー。アラブ料理には普通カレーは無い。海のシルクロードでインドと交易が盛んだったオマーンの郷土料理にのみ存在するもので、これもまた貴重な体験であった。辛くはなかったけどね。ボリュームがあるので二人で食べて正解。アラビア半島の片隅で日本人と出会えば、ただでさえ「おお、同志よ!」という仲間意識が沸き上がる。その上今回湾岸諸国を回って面白かったこと、期待外れだったことが見事にHさんと意見が一致。料理が美味かったこともさることながら、久々に日本語で声高に笑いながら楽しい時を過ごしたのだった。

 

オマーンにしか無いアラブのカレー

 

食後、ダメ押しに近くのカフェ兼トルコ料理店に移動してシーシャ(水タバコ)をプカプカ。熱帯夜も忘れてオマーン最後の夜を堪能した。このシーシャ、中東各国のカフェ等にあり、地元の男達はコレをふかしながら長々と歓談している。社交の場での必需品ってやつだ。通常のものは全長約1メートルあり、そのまま床の上に置かれた物をホースのようなパイプを通して吸う。僕は昨年カタールで少しはまり、実はドバイでコンパクトサイズのシーシャ器具を買ってしまった。組立式になっていて、高さは約50センチ。専用ケースに収納できるし、持ち運びも簡単。買った場所は土産屋さんではなく、何と食材等を売ってるそこらへんの普通の商店だった。本体は一式40ディルハム(約1200円)。それにイチゴ、カプチーノ、コーラ、チューインガムのフレバータバコも4箱買った。ちなみに今晩選んだフレバーはアップル。ニコチンゼロだから純粋に香りを楽しむ嗜好品で、安心して吸えるタバコである。

 

 アル・ワファ・ホテルでHさんとはまた会いましょうと握手で別れを告げ、このホテルの一階にあるネットカフェにちょっとだけ寄ってから、サン・シティ・ホテルに戻った。明日はいよいよオマーンを離れるから早く寝るとするか。すぐにベッドに倒れこんだ僕であったが、眠りについてからしばらく経ったであろう、いきなりものすごいボリュームのテレビの音に目が覚めた。

 

 隣の部屋がインド映画でも見ているようだった。ちょうどダンスのシーンなのか、ガンガンに音楽が流れている。時計は夜中の2時を回っており、非常識もいいところである。たまらなくなって隣の部屋のドアを叩くと、アラブ人らしき男が上半身裸の姿で出てきた。うるさくて眠れないぞ! と文句を言うと、男はOK,とでも言うように親指を突き出し、頷いた。とりあえずテレビの音が止み、これで一安心、と再び眠りについた。しかし今度はテレビの音ではない。それは正に男女の営みの激しい声であった。もしかしたら、もっと前から事におよんでおり、先程のテレビの音声は声を消すカモフラージュだったのかも知れない。このホテルの壁はベニヤ板なのか、きしむベッドの音さえ聞こえてくるぐらい筒抜けである。ああ、何とかしてくれっ!早く終われっ!と僕は耳を塞いで薄い蒲団に潜り込むのだった。