第十四回 「熱風アラビア道中」
          
(バーレーン・シリア・カタール編)

Bahrain

Syria

Qatar


バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日

訪問地:マナーマ、ムハラク

 

シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間

訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ

 

カタール旅の期間:2007年5月4日 1日

訪問地:ドーハ




バーレーン: アスファルトの砂漠

 

 東南アジアが長らく続いた最近の旅。ここらで少し遠くへ行ってみたくなり、レバノン以来ご無沙汰の中東旅に出ようと思った。先日開催された愛知万博で中東含むアジアのパビリオンを全て回り、まだまだイスラム世界に入り込んでないことを実感した。特に関心のある国はシリア。レバノンでも現地のシリア人にお世話になったので、印象の良い国である。又、石油の輸入先としてだけでなく、最近は近代化や観光開発にも力を入れつつある湾岸諸国のうち、どこか小さな国もいくつか回れないかな、と思っている。旅行会社に勤める友人と相談してみた結果、関空からカタールへの直行便はキャンセルが出ないので、香港経由でバーレーンに入り、そこからシリアへ飛ぶルートにした。香港発のフライトは日本で買うとベラボウに高いので香港の友人である高さんにバーレーンまでのチケットを購入してもらった。

 

  4月26日。香港チムサーチョイのHMVの前で高さん夫婦と待ち合わせ、北京料理店でチケットを受け取った後、久々にジャージャー麺を食す。しばらく麺料理とはお別れだなと覚悟を決め、午後の便で一路中東はバーレーン行きの搭乗ゲートへ。アジアでも比較的レベルの高い航空会社というイメージなキャセイパシフィック航空だが、チェックインの段階から何だかモタモタしており、搭乗券をもらうまでにやたらと時間がかかった。おかげで免税店も何も見るヒマも無く、時間ギリギリで乗り込んだのだった。

 

ここからは9時間という気の遠くなるようなフライト。ひたすら眠ったり、音楽を聴いたり、映画を見たり。この映画がまた面白くなくて、途中まで見ていて疲労感が倍増してしまった。アラブ人とおぼしきおやじが一人、知り合いのいる席の方に行き、通路上に立ったまま大きな声で延々と話し込んでいる。眠りたい他の乗客が時々片目を開けて恨めしそうに睨んでいる様子が僕の席からも見える。この男、ものすごいデブである。あいつのズボンの片っぽだけで僕は全身入りきってしまうに違いない。うちの職場にもああやって仕事中に他の人の席に行って長時間ダベりまくってるデブのおやじがいる。どこの国にもいるものだな、なんて人間観察などしてヒマをつぶす。ふと現在の飛行位置を確認してみたら、インドのビサカパトナム上空であった。僕がちょうど10年前にステイしたインドの友人スクリティの家がある町で、ちょっと嬉しかった。

 

そんなこんなで夜8時にやっとこさバーレーン空港に到着。出口のゲートをくぐると、予約していたアラドゥス・ホテルの出迎えが来ていたので、彼等の車に乗り込み、一路首都マナーマ市内へ。ちなみに空港から市内は車で10分。

 

 何だか喧しい宿だな~。二階にナイトクラブでもあるのだろうか。チェックインを終えてエレベーターに乗り込むと途中二階で扉が開く。頭に黒いバンドを巻き、全身白装束のアラブ石油王風の出で立ちのオヤジ二人が乗り込んできた。サウジアラビア人だろうか、地元バーレーン人だろうか。 

 「おう、オレ、五階に行きたいんだけど、ここ何階? 五階? 六階?」 声のデカイこの連中、明らかに酔っ払っていた。湾岸系のアラブ人は特にイスラムに厳格というイメージがあったが、連中を見た瞬間そのイメージ、見事に崩れ去った。

 物価がやや高いバーレーン、ガイドブックの中で一番安い宿とはいっても、やはりちょっと高めだった。そして高めな割にはやはり安宿みたいに狭い部屋。ま、ロケーションはちょうどスーク(市場)の真ん中で同時に首都の中心部なのでよしとするか。ちょっと夜の街をブラブラする。スークはすっかり店仕舞いだったが、人通りはある。歩く人々のほとんどは外国からの出稼ぎ労働者。インド人も、パキスタン人も、タイ人もいる。お互い外人だから特にジロジロ見られることもない。香港の街角を歩く中国人とインド人の比率が逆転したような感じ。それはそうと、バーレーンの夜、なかなか涼しい。日本の熱帯夜の方がよっぽどきつい。道路沿いにそびえるビルやモスクのライトアップ一つにエキゾチックさを感じながら中心広場を一回りしてマクドナルドで夕食。店員はフィリピン人で至ってフツウの雰囲気。メニューもスタンダード。期間限定マックケバブとか、ビッグマトンバーガーとか期待してたのにな。

 

 「♪アッラーフ アクバ~ル! アジュハッディン ライラハイラッラ~!」 

 明け方4時。イスラム諸国ではお決まりの礼拝の呼びかけ、アザーンがいきなり街中に鳴り響いて、眠りを妨害された。カーテンを開き、窓から見える街並みから数えるだけでもモスクは大小合わせて七軒から八軒ほど点在している。それぞれのモスクから異なる声で同じ文句のアザーンが数秒ずつずれて流れているので、まるでカエルの歌状態。アザーンはあくまで呼びかけなので、それ自体はものの5分ぐらいなのだが、何せ輪唱状態だから完全に止むまで15分ぐらいかかっただろうか。やれやれ、ともう一眠り。時差のせいか目覚めは比較的早かったので、8時頃には身仕度を開始し、9時頃にはフロントに降りた。香港へ戻るリコンファームを手伝ってもらい、早速中東旅最初の国、バーレーン散策に出発。

 

 まずはホテルの周囲に張り巡らされた迷路のようなスークを散策。アジアの市場ってどこもそうだが、網の目を構成する一つ一つの通りはみんな同業者で固まっている。例えばある通りは衣類ばっかり、ある通りは装飾品ばっかり。中でも土産ばっかりの通りに入ると、やはり外国人である僕によく声がかかる。既にイラクでは廃止になったサダム・フセインの肖像入り紙幣や、炎上する貿易センタービルとオサマ・ビン・ラディンがデザインされたライター、今朝のアザーンがアラーム音になっているモスク型目覚まし時計等、オモシロ物がいっぱい揃っていて笑わせてもらった。もちろんテロや戦争は笑えるものではないが、とかく触れること自体タブーになりそうな重いものをユーモアで吹っ飛ばす庶民の根性に喝采を送る意味での笑いである。ま、フセイン紙幣以外の生産元は中国という噂もあるが…。

 

香辛料ばっかりの通りは、売る人も買う人もみんな白装束、或いは黒ベールをまとった生粋のバーレーン人。この通りだけ雰囲気がのんびりしていて、売り子のじいさんも居眠りしていた。ここで僕は音楽ソフトを売る店を見つけた。狭い店内はテープやCDでぎっしり埋め尽くされ、アラブの他にもインド、スリランカ、パキスタン等のテープも並ぶ。この店だけなぜか店員はインド風の男であったが、僕が「バーレーンの歌手のものが欲しい」と言うと、ちゃんと知っているようだった。今人気という女性歌手ヒンド、男性歌手のハリド・アル・シェイク、男性デュオのガラミアート・ブラザース等五本ほど購入。テープは一本1.5ディナール(約450円)であった。湾岸諸国のポップスは「ハリージ」と呼ばれるが、打楽器による単調な節回しが延々と続く歌謡曲が多く、マニアの間では「チャカポコ系」と揶揄のこもった呼び方をされている。実際アラブ音楽が好きな人でもずっとこれを聴くのは少々辛い。五本しか買わなかったのは「チャカポコ系」への警戒心が強かったのであろう。だが実際聴いてみると、意外にも耳当たり良いサウンドの曲も多かったので安心した。

 

 さぁ、スーク散策はこのぐらいにして、ちょっと観光しよう。面積は奄美大島ぐらいしかないとは言え、完全に車社会のバーレーン。徒歩での観光は一つの挑戦を意味する。今の季節、想像していた程暑くはないようだが、それでも昼間の日差しは半端無いので少しきついかも知れない。だが一日時間がある。タクシーは高いので極力使わず、がんばって歩こう。目指すは市内からずっと東方向にあるコーラン館にグランド・モスク、そして国立博物館。手持ちの水で時々渇きを潤しながら、車がビュンビュン行き過ぎる一直線のハイウェイとビル街に沿ってひたすら歩く。その時、別の道から一人の白い石油王スタイルのおっさんが現れ、僕の歩く道に合流してきた。何も無い道で、同じ方向を、同じぐらいのスピードで歩いていると、アジアでは自然に会話が始まる。この国でも同じ。

 「いや~、暑いねぇ、あんた大丈夫かい?」

 「ほんと暑いっすねぇ。初めてバーレーンに来たもんで。」

 「今の季節なんてホントは大したことないんだぜ。今はな、朝は春で、昼は夏で、夜は秋って言われてるんだ。あと数ヶ月したら、これが丸一日夏になるんだぞ。」

 こう話す気さくな感じのおっさんは地元バーレーンの公務員。朝7時から午後2時15分まで仕事をしているらしい。2時頃で終わりなんて聞くとかなり短い感じもするが、始まりは早いので6時間ちょっとか。日本の8時間労働より少し短い程度だし、意外と働いているのだな。終業後は家族との時間を大事にしているのだという。日本人もこうありたいものだ。

 「何だ、たった一日しかいないのか。バーレーンを観光するなら、やっぱり一週間はいなきゃいかんよ。明日も観光するんならオイラの事務所とか来れば面白いのにな。残念だが今日だけは午前中でクローズしちゃったんだ。」

 うむ、確かにバーレーン人の職場を覗くってスゴク面白そう。明日もいればよかった。でもバーレーン政府機関の事務所をまるで観光施設かのように「面白いぞ!」と勧めるおっさんのキャラクターが一番面白かった。

 コーラン館に行くんだ、と言うと、おっさんは何と、行く方向を過ぎているというのに、わざわざコーラン館の前まで案内してくれた。バーレーン人、優しいぞ! ショクラ~ン(ありがとう)、と数少なき知ってるアラビア語でおっさんに感謝の言葉を送って別れた僕、とりあえず冷房の効いたコーラン館に無事到着した。入場料は無料だが、寄付金制だったので1ディナールぐらい寄付をする。ここは高級感漂う博物館で、様々なコーラン、つまりイスラムの聖典が展示してある。世界最古と言われる8, 9世紀頃のコーランや、小指の先ぐらいしか無い最小コーラン、1ページが玄関マットぐらいある特大コーラン等、いろんなコーランを前にへぇ~っと溜息。単なる本ではなく、完全にアートの世界である。だってページ一枚一枚にブルー中心のカラフルな幾何学模様、花や鳥の細密画、金箔そして孔雀の羽で彩られており、これならイスラム教徒でなくても手に取ってみたくもなる。言葉がわからない人種でも何が書いてあるんだろうと興味を持つ。こうしてイスラムは広まっていったのかも。そして民族から民族へと伝わり、それぞれのセンスが加えられてますます手の凝ったコーランができていったんだろうな~、なんて感心しながら再び歩き出す。

  次の目的地だったグランド・モスクはすぐに見つかったものの、残念ながら休館日で門に鍵がかけられていた。仕方が無いので、更にその先にある国立博物館を目指すことにする。歩いて行くうちにいつしかビルが見当たらなくなり、数メートルごとにナツメヤシの木が植えられた一本道のハイウェイだけとなった。誰かに道を聞こうにも、いるのは猛スピードで通り過ぎていく高級車だけ。もうこんな所を歩くなんて奇特な奴は僕ぐらいしかいない。ビルが消えた代わりに、ペルシャ湾が目の前に広がる海岸線が見えてきた。かつてフィリピンで見たようなエメラルドグリーンをした海である。しかもある場所から一部がマリンブルーとなっており、きっちり色分けされた不思議な海。レジャー用のボートが何隻か停泊しているが、動いているものは無い。おっと、遥か前方に大きな建物が! そう思って息を切らしながら歩いて行くものの、建物は少しずつ遠ざかっているような気もする。あれはもしや蜃気楼?! 水はもう切らしてしまった。売店も無い。アイスか軽食を出していたかと思われる屋台の店舗を見かけたが、もぬけの殻。ヤシの並木と高級車が行き交う道路、そして波の音。でも今の僕にはここは近代化した砂漠にしか思えなかった。

 疲れと空腹、目的地が見えない不安で心が少し折れそうになった時、オープンカフェ風のレストランを発見した。近付いてみるとトルコ料理店のようだ。オアシスだぁ!と、駆け込む。席に座っても、こちらから呼ばないと店員は注文を取りに来ないし、料理が来るのも遅いし、勘定してもお釣りを持ってくるのが遅いし、店員の対応は全然ダメであったが、まぁ、この状況下、多くは望まない。喉も潤し、空腹も満たされたんだからよしとするか。店を出る時、店員が博物館への行き方を教えてくれたのでむしろ感謝である。パワーをチャージして改めて出発。

 

教えてもらった方向へ歩いて行くと、太鼓主体なのが特徴的な湾岸系アラブ音楽がチャカポコ、チャカポコ流れてくるのが聞こえてくる。おお、いよいよ博物館だ! 

 早速チケットを買うと、中は涼し~い! 見学者はみんな地元バーレーン人の子連れ家族。街中では外国人労働者しか見かけなかったが、彼等はこんな所に出没していたのか。女性はみんなアバヤと呼ばれる黒ベールで全身を隠し、男性は例の石油王スタイル。子供は何不自由無く育てられたのか、みんな肥えてるぞ。サッカーのバーレーンチームの赤いユニフォームが流行っているみたいで、子供も若者も男の子はみんなそれを着ている。ベドウィンの酋長みたいに胸あたりまで黒々とあごひげを生やした、オサマ顔のいかついじいさんがいるなと思ったら、次の瞬間すっかりエビス顔になって孫をあやしながら展示品を見て回っている。おっと、つい人間観察してしまったが、展示品もなかなかよかった。南部砂漠地帯で発掘された古代文明の跡と言われるディルムン古墳の出土品コーナーでは、古墳そのものが一つまるまる移築展示されていた。自然コーナーでは様々な動物のスケルトンの展示がスゴイ。暗い展示室でボォーっと照らされた馬やダチョウや海ガメの骨格。中でもマッコウクジラの骨格があまりに巨大で、しかもその展示室にいたのが僕一人だったこともあり、何だか深海で巨大生物に出くわしてしまったかのような迫力。圧倒されて思わず声を上げてしまった。

 いけない、いけない。面白くてつい長居した。ホテルのチェックアウト時間は3時だ。中心地まで急いで歩くが、絶対間に合わないことは既にわかっていた。そこへ現れたタクシー。これはもう使うしかない。

 「バーレーン広場まで!」

 「2ディナール(600円)だな。」

 「何言ってるんだ、車なら10分で行けるだろっ! 1ディナールだ!」

 「にゃはは、バレたか。1ディナールでいいよ。」

そんなこんなで無事ホテルに到着、チェックアウトした後で大荷物をフロントに預け、また観光に出発する。次は空港のある隣町ムハラクにある遺跡、アラッド・フォートを見に行こう。しかしそれはまた更なる挑戦を意味していた・・・。