第十四回 「熱風アラビア道中」
          
(バーレーン・シリア・カタール編)

Bahrain

Syria

Qatar


バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日

訪問地:マナーマ、ムハラク

 

シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間

訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ

 

カタール旅の期間:2007年5月4日 1日

訪問地:ドーハ




ダマスカス: 出会いの朝

 

 バーレーン広場の中心にある大きな城門跡。その前に何台かタクシーが客待ちしている。意外にも客待ちするタクシー運転手は白装束のバーレーン人であった。この国では地元民でもタクシーで生計を立てる人がいるようだ。バーレーンは実はアラブの国では珍しくシーア派イスラム教徒が国民の大多数を占めるが、王族始め実権を握っている側は皆スンニー派。なのでスンニー派が比較的優遇されていると聞くが、バーレーン国民でもシーア派住民はひょっとしてあまり所得や生活水準が高くないのだろうか。あくまで憶測なので、深くは考えずにさっさと車に乗ることにした。

 

 ヒョロっとした白装束のオヤジはサンダルでアクセルを踏むと、結構なスピードで一路ムハラクへ。街中にあまり信号が無く、全てが高速道路のようなので、アラッド・フォートはあっという間の到着だった。

 16世紀に作られたアラッド・フォート。それ自体は小さな砦であった。石積みの城壁で作られた長方形の空間。角には見張り台が設けられ、昇り階段だけが残っている。見張り台の真上で海風にたなびくバーレーン国旗。そこからはペルシャ湾のエメラルドグリーンが眼下に広がる。そして雲一つない紺碧の空とのコントラストに感服しながら、しばし何も考えずにボーっと時間を過ごしていた。

 

 さて、マナーマ市内に帰ろうか、そう思った時だった。この近辺、客待ちのタクシーが全くいないことに今更になって気付いた。やれやれ、またしても車が猛スピードで行き交うだけのアスファルトの砂漠に放り出されてしまった。遺跡を見終わった後、タクシーがいなくてもバスターミナルまで歩けばマナーマに戻れると見込んでいたのだが、そんなのどこにもありゃしない。暑い。とにかくあづ~い!! のどが渇いた…。近くにある建物と言えばクルマ販売店、それとなぜか高級菓子店であった。せめて飲物でも置いてないかと菓子店に入る。白装束のリッチメン達が一個1ディナール(300円)もする大きなアメ玉を鷲掴みにしてトレーに大量に盛り込んでいる。正気か? 連中、自家用のランドローバーに乗り込んでサササ~っと帰って行ってしまった。この辺でタクシーに乗れる所ありませんか~? なんて連中に聞いたってムダだよな。こんなことなら、ちょっと高くついても行きのタクシーを待たせて往復させればよかった。

 ふと見つけた小さな売店でインド系の店員に聞いてみると、近くにバス停があるようだ。どこ行きかは知らないが、とにかく探しにダッシュ。すると彼の言う通り、道路向かい側に確かにバス停らしきベンチがあり、一人のアラブ系の男が座っていた。すいません、ここって、マナーマに行くバス停ですかっ?! 男はどこか別のアラブの国からの出稼ぎらしく英語がわからず、かつ無愛想であったが、マナーマには行かん、だが大丈夫だからそこに座ってろ、といったようなことをボソっと言った。二人無言で待つこと約15分。やがて一台のワゴン風のミニバスがやって来た。男はただ無言でこれに乗れと合図すると、自分もまたこのバスに乗り込んだ。車内はアジア各地の出稼ぎ労働者達と黒ベール姿の地元女性で満席だったので座れなかったが、何とかこれでムハラクのバスターミナルにたどり着く。降り際にさっきの男が近くにある大きな別のバスを指差して一言「マナーマだ」と言うと足早に消えて行った。無愛想だけど親切な男のお蔭でやっとマナーマへと戻れた僕、夕方は市内西部にあるシーフ・モールというゴージャスなショッピングモールを散策し、そこのファーストフード店で軽く夕食。夜のフライトに乗るため、荷物を預けているホテルへと戻った。 

 

 チェックアウトすると、別に頼んでもいないのに空港へ向かうタクシーが既にアレンジされていた。予約時の空港の送迎が往復だったのかと思ったが、これは別料金とのこと。バーレーン広場から自分でタクシー拾った方が安かったと思うが、ひょっとするとこの時間はタクシーが捕まりにくいかも知れないし、ま、高級ホテルの前からタクシーに乗ったと思うことにするか。 

 タクシーにすぐには乗らず、ホテル内のトイレをちょっと貸してもらったのだが、その時、気になっていた喧しい二階をチラッと覗いた。そこにはカフェサロンと呼ばれる怪しい店があった。中は一見ビリヤード場のようでタバコの煙が立ち込めており、入口近くには東アジアか東南アジア系の女性が何人か座り、入口前を人が通り過ぎると一斉にじーっと見つめていた。湾岸アラブで最もオープンと言われるここバーレーン。酒はもちろん、いろいろな面で自由が効くので、海を挟んだ道路一本で国境を接する唯一の隣国サウジから、今日みたいな週末には大勢の男達が厳格な戒律から解き放たれんばかりに大挙して押し寄せてくる。そしてあのカフェサロンにいたホステス達はみんなタイ人で、1,000バーレーン・ディナール(約3,000円)で客の部屋まで来てくれるらしい、というのは空港に向かう道中タクシーの運転手から聞いた話。

 

 ま、バーレーンがアラブ世界に慣れるためのウォーミングアップであるなら、次のシリアが本番だ。夜11時のフライトでバーレーンから一路シリアの首都ダマスカスへ。機内ではとにかく眠くて、食事以外はずっと爆睡状態であった。機体がダマスカス空港に到着し、周囲が降りる準備をしている時でさえ居眠りしてしまうほど疲れていた。シリアの地を踏んだのはちょうど夜中の2時。しかも入国審査などやっていたら3時頃になってしまった。以前モスクワからアルメニアのエレバン行きの便に乗った際も同じく深夜着であった。こんな遅いと空港タクシーもアヤシイし、真っ暗で宿探しもできないので、あの時は一緒に行った友人と「空港野宿」を行った。人気の無い空港の片隅を陣取ってバスタオルを敷き、荷物をマクラに翌朝一番まで眠るのである。今夜もそれでいくとしよう。今回ダマス空港にはバスタオルを敷いて横になるスペースは見当たらなかったので、待合ロビーのベンチ椅子をキープし、荷物にもたれかかり、耳栓をして翌朝7時までの約4時間、眠りについたのだった。

 

 朝7時頃、空港の窓から射す陽の光で朝を感じ、目をこすりながら身を起こす。荷物も自分も無事であることを確認した後、手元に残ったバーレーン・ディナールをシリア・ポンドに換金し、市内へ向かうバスに乗り込んだ。アサド大統領の肖像画が至る所で睨みをきかせる道を一路30分。到着したのは市内のバスターミナルだった。さてさて、ここから安宿の多いと聞くマルジェ広場へはどう行ったらいい? 大荷物を担いでダマスカスの市内の第一歩を踏みしめるや、早速声をかけられた。グッドモ~ニ~ン。えっ、ウィッキーさん!? いや、地元の若者らしき三人組だった。うちアイマという一人の青年だけが英語を理解したのでしばしおしゃべりしながら歩く。どこに行くの、と聞かれ、マルジェ広場に行きたいと答えた。ここからだと歩きでは遠いからバスに乗るといい、と彼等はセルビスというミニバスの発着所まで案内してくれた。 

 「これに乗るんだ、マルジェに行くよ。」 

アイマは数あるセルビスの中の一台を指し、更に運転手にはマルジェでこの日本人を降ろしてくれとキチンとアラビア語で伝えてくれた。ありがたや~。

 

 かくしてこのセルビスとやらに乗り込んだはいいが、はて一体いくらなの? 一緒に乗り込んだ地元民達はサイフからコインを取り出し、何人かの乗客の手を伝って運転手に支払っている。すると近くのおっさんが「5ポンドだよ」と英語で教えてくれた。おっと待てよ? 今さっき換金したばかりだから1,000ポンドや500ポンド札しか持ってない。あの~、これでお釣り出ませんかぁ? 恐る恐る500ポンドを取り出すと、おっさんが言った。 

 「そんな大きな金じゃ、お釣りは出んよ。気にするな、もう払っておいたから。」 

えっ? 払ってくれたって? 

 「いいんだよ、気にするな。」 

おっさんはそう言うととある街角で一緒に降りようと促し、親切にマルジェ広場への行き方を教えてくれると、そのまま去って行った。何だかシリア人って、メチャメチャ親切じゃない?

 

 マルジェ広場。かつてオスマン・トルコによってアラブ独立の闘士達がこの地で処刑されたことから殉教者(マルジェ)の名が付いている。今は手頃なホテルが密集する旅行者のスタート地点だ。さーて、どこのホテルに行こうか…。と、歩き始めた時、またしても声がかかった。 

 「やぁ、どうした。何か困ってるのかい?」 

今度は一人の若い男だった。

 「ホテルを探してるのか、予算はどのぐらいだ? 一緒に探そう。」

そう言って一緒にいくつかのホテルを回ってくれた。彼の名はバシール、29歳。てっきり地元民かと思っていたら、モロッコ人だとのこと。ここに来るまでにも随分沢山の人達に助けられてしまったが、ここまでみんな親切だとほんとに100%信じちゃって大丈夫? と、不謹慎にもそんな気持ちがどうしても湧いてきてしまう。特にこのバシール、いやに愛想いいし…。ともあれ、彼の助けのお蔭で手頃なホテルがやがて見つかった。一泊25ドルのラムセス・ホテル。イランからの巡礼者が多いらしく、ロビーやエレベーターにはイラン人宿泊客の姿が目立つ。チェックインを済ませると、バシールに朝食を誘われた。そうだな、お礼がてら彼に朝食ぐらいご馳走してからホテルで休むとしよう。夕べは空港野宿だったからシャワーも浴びてないし。部屋に荷物を置き、ロビーで再びバシールと合流した僕は近場の飯屋へと歩く。

 

 目の前に出されたケバブっぽい肉料理と野菜にフライドポテト。そしてホブスと呼ばれるナンでくるみながら食べる。向かいに座るバシールといろんな話でしばし盛り上がった。たまたまサッカーの話題になり、かつての日本代表監督トルシエの名前が出た。実はトルシエは日本の監督を降りた後、モロッコ代表の監督になり、その後突然イスラム教徒になったというエピソードがある。と、その辺の話に及んだ途端、これまで穏やかに話していたバシールの息遣いが変わった。 

 「この一件は、イスラムという宗教がどんなに偉大であるかということを世界に知らしめた重大な事件なんだ!!」

これを皮切りに、イスラムの素晴らしさとやらについて、あれやこれやの例をいっぱい挙げながら、延々と説教が始まってしまった。 

 「学生時代、コーランと聖書を比較研究したことがある。聖書は複数の人の記述の寄せ集めで内容に一貫性が無く、矛盾点も多い。記述した人物の中には互いに会ったことも無い者さえいる。」 

 「日本含め先進国では自殺が多いと聞くが、イスラムの国々ではそれは無い。自殺は神への反逆行為として固く禁じてるからだ。」 

ただでさえ満足に寝ていない僕、長く一方的な宗教談義が更に一層眠気を誘う。眠気というより、今すぐ布団に潜り込みたくなるような疲労と言った方がいい。彼と話して気付いたのは、何とも話が回りくどい。一言で済む話に例え話をいろいろ加えて10分も20分もかけて話す。その間うん、うん、とずっと頷いて聞いている方も苦痛である。だが人柄は悪くないので話を止めろと言えばすぐに「Sorry」と謝って止めてくれるし、僕から話を切り出せばきちんと聞いてくれる。そんなこんなで彼との長~い朝食は終わった。

 

 「これからどうするの? 観光するならガイドするよ。」

いや、あまり休んでないからホテルに戻ってシャワーを浴びるよ、僕はそう答えて一緒に店を出た。 

 「あ、それから言い忘れたけど、ダーウィンってユダヤ人の進化論、あれは大きな間違いなんだ。人が猿から進化したなんてとんでもない。人はアッラーによって創造されたんだ。」

彼のイスラム話はその後も延々と続いていた。食べた後も疲れが取れないのでホテルに戻ろうとした。しかし、バシールの進む方向はマルジェとは反対方向のような気がする。おいおい、バシール、ホテルはそっちじゃないだろ、どこ行くの? その足は地下道を通り、何やらアーケードのような所に入って行こうとしていた。