第十二回 「パゴダの国との奇妙な縁」
          
(ミャンマー編)

Myanmar


ミャンマー旅の期間:2003年1月31日~2月12日 12日間

訪問地:ヤンゴン、バガン、キンプン、バゴー、パテイン



 

 三日目:パゴダで難行苦行

 

目覚ましの音と同時に目を覚ました。どうやら僕、夕べは一番の夜更かし、今朝は一番の早起きであった。早速枕元に置いていた服に着替えた後、大荷物はここに置いて行き、ナップザックだけ背負う。このまま誰も起きてこないまま出ちゃっていいのかな。。でもフライト早いからあまりゆっくりもしてられないし。そう思っていた時、ノーノーが眠い目をこすりながら、ちょっと寝坊したと言って寝室から出て来てくれた。

 

 マンションの一階までノーノーと一緒に降りると、こんなに早い時間なのに、入口前では時々タクシーが流していたので、ノーノーが一台つかまえて空港まで行ってくれとビルマ語で頼んでくれた。道には他に車もいなかったのでタクシーはすぐに勢いよく出発。軽く手を振るノーノーの姿はあっという間に見えなくなった。しばしの一人旅の始まりか。

 

 やがて空港に到着した僕、最初から戸惑ってしまった。通常なら航空会社のカウンターでチェックインをして、それからX線検査等搭乗手続を経て待合室へと進むはずであるが、入口に入るとすぐにX線検査をする場所があり、他には何も見当たらないのだ。チェックインを済ませていない僕はこの検査を通れないし、バガン行きのチェックイン時刻の表示がどこにも書かれていないのもまた不安だ。X線検査の列を整理している係員に航空券を見せて聞いてみる。すると彼は大丈夫だ、あと10分ここで待てと言うので、付近でしばし腰を掛けて待つ。こんな所にいる間にも飛行機が離陸してしまうのではないか。まだチェックインすらできていないし、これから乗る飛行機に関する情報をこの空港内で全く確認できない僕は不安を隠せなかった。もうそろそろ10分経っただろう、と再び席を立って係員の方に行く。すると彼は、よしわかったと言うと、X線検査等一連の搭乗手続を全て付きっ切りで手伝ってくれた。心配していたチェックインはX線が終わったすぐ後の簡単な窓口で行われた。手続が終わると係員、では気をつけて、と笑顔を見せるとすぐに持ち場へ戻って行った。親切な人だなぁ。

 バガン行きの便の待合室にいたのは十人程。近くに日本人らしき中年男性がいた。話しかけてバガンの情報交換でもしようかと思ったが、彼の横には日本語ガイドらしき若いミャンマー人女性がおり、二人で途切れること無くおしゃべりに夢中になっていた。お邪魔になるので構うのはやめておいた。

 やがて搭乗時間となり、特に座席指定も無い機内で気ままに腰を掛けると、まるで長距離バスが発車するかのように飛行機は離陸。その瞬間も機内のスチュワーデスは乗客の大きな荷物をどこかに収容する等、雑用に駆け回っていた。配られた軽食は何と先日ヤンゴン市内で食したあの「Jドーナツ」。機内食にも採用されていたとは、何と繁盛している偽ブランド飲食店だろう。

 

 約一時間後に無事バガンのニャンウー空港に到着。出発時に空港使用料が無いとは珍しいな、と思っていたが、そこはやっぱりのどから手が出るほど外貨が欲しいミャンマーのこと。空港到着時にきっちり入郷税10ドルを取られてしまった。

 空港の建物を出るとすぐに一人の男が近付いてきた。こんな所で寄ってくる人間なんて、客待ちのタクシー運転手以外にありえない。さあ、交渉開始だ。

 「市内までタクシーで行くか?」

 「タンテ・ホテルまで行きたいけど、いくら?」

予めガイドブックでチェックしておいた、安いリゾート風のホテルの名を挙げた。

 「3,000チャットでどうだ?」

 「2,000チャットにしてよ。」

ちょっと待っててくれ、男は一旦その場から引き上げ、少し離れた木陰に立つ元締めらしきサングラスの男に何か相談し始めた。しばらくするとサングラスの男自らこちらにやって来て、固い表情をしたまま「2,000チャットでいいから、とりあえず乗れ」と言って僕をタクシーに乗せると、この男も助手席に乗り込んできた。運転手の隣に仲間がもう一人乗り込んでいるタクシーというのは、僕がかつて住んでいた中国では確実に怪しい輩である。僕は気を引き締めた。

 「バガンにはどの位滞在するんだ?」

市内へと車を進める中、サングラスの男は表情一つ変えずに流暢な英語で聞いてきた。

 「人に会う用事で来ただけなんだ。明日にはもう帰る。」

本当はヤンゴンに帰るのはあさってだが、正直に答える必要はない。

 「ホテルに着いたらパゴダの観光には行くんだろ? 30ドルでガイドしてやるが、どうだ?」

先日バガン旅行から帰ってきた友人M氏の話では、パゴダは自転車で自由に回れるという。その方が確かに面白いし、金もかからない。何よりこんなマフィアの下っ端のような男と一緒に観光に行く気はさらさら無かった。

 「バガンには沢山のパゴダがあるんだ。パゴダ。パゴダだ。わかるか?」

この男、僕が黙っていたので、パゴダって言葉が通じてないと思っているようだ。

 「ホテルで人に会う約束をしてるんだ。パゴダには行かないよ。」

 僕はそれ以上何も答えなかった。表向きは人に都合を聞いているようで、実際は自分らの都合を一方的に押し付けてくるだけのこの手の連中には嫌気がさす。せめて笑顔の一つでも見せれば少しは印象も変わったかも知れないが、この男、どうにも気に入らなかった。

 

 タンテ・ホテルは意外と空港からそう遠くはなかった。到着するや僕は2,000チャットを運転手に差し出し、そそくさと降りた。

 「もしパゴダに行くなら、ここで待ってるぜ。」

サングラスの男もしつこく付きまとってきたが、パゴダには行かないんだよっ! と捨て台詞を吐くようにはっきり言うと、ホテルの入口にそのまま入って行った。

 先に記したM氏いわく、ミャンマーでは、オフシーズンなら宿泊料金をダメもとで値切ってみれば、案外ディスカウントに応じてくれるらしい。この方法は微々たる額とは言え、一泊の宿泊費が30ドルから28ドルに下がるという効果を見せた。中庭にプールのあるコテージ型のなかなか小奇麗なホテル。これで28ドルなら絶対お得である。窓の外からプールが見える個室で一息ついた僕は軽くシャワーを浴び、バガンでの予定を簡単に組むことにした。

 バガンは東から大きく分けてニャンウー、オールド・バガン、ニュー・バガンの三つの地区からできており、今僕が滞在しているのはニャンウーである。この地区は現地住民が主に住む所であると同時に、パゴダのあるオールド・バガンとニュー・バガンへ観光に行く旅行者の拠点という位置付けの場所である。世界遺産であるパゴダ群はほとんどオールド・バガンとニュー・バガンに集中しており、僕はニャンウーを拠点にこれらパゴダ群をレンタル自転車で回ってみようと思う。それに加え、バガン郊外にあるポッパ山というミャンマー人の聖地にも行ってみたい。そこで今回頼りにしているのは、M氏から紹介されたミャー・ミャー・エーという名の女性である。ニャンウーとオールド・バガンの間ぐらいの場所にあるレストランで働いているそうだが、親身になって旅行の相談に乗ってくれるらしい。M氏もバガンの近くにある町メッティーラへ行く際に彼女に車をアレンジしてもらったそうだ。レンタル自転車はホテルで貸し出ししていた。いくつかある中からちょうどよい高さの自転車を選んだ僕は、カメラとメモ、そして飲物だけを手に、まずはミャー・ミャー・エーさんのいる「ネイション・レストラン」へと出発した。

 

 市場に土産物屋、ゲストハウスが立ち並び、馬車やサイカー(サイドカー風の人力車)でごった返すニャンウーの大通りを通り過ぎると、大きな一直線の道路へとつながる。地図を見ると、この道はオールド・バガン、更にはニュー・バガンまでずっと続いている。雑踏から解放された僕はちょっとスピードを上げて突っ走った。20分程経っただろうか。やがて右手にバスターミナル、そして金色に輝くパゴダの屋根が見えた時、ちょうど左手に「ネイション・レストラン」という英語の看板を見つけた。

 「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ。」

店の入口をくぐるときれいな英語を操る女性が席を勧めてくれた。若くてエレガントな雰囲気を持った美人であったが、他の店員にいろいろ指示を与えている所、店長だろうか。

 「すみません、ミャー・ミャー・エーという方を探しているのですが。」

 「ミャー・ミャー・エーなら私ですよ。」

この若い女性が正にその人だった。こんなに簡単に会えるとは思わなかった。

 「友達のMさんの紹介で来ました。覚えていますか? 以前メッティーラに行った・・・。」

僕がそこまで言うと、彼女は思い出したように大きく頷いた。

 「ああ、私の兄が車でメッティーラまで連れて行った、あの人の友達ね。」

彼女はそう言うと、メニューと一緒にバガンの地図を一枚持って来た。僕はとりあえずタミンジョーというミャンマーのチャーハンを注文すると、彼女はメモとペンを手に僕の座るテーブルの向かいの席に腰を下ろした。

 「さあ、出来る限りのお手伝いをするから、プランを教えて。」

今日一日は一人でオールド・バガンを回るつもりであったが、明日回る予定であるポッパ山とニュー・バガンは自転車で行くにはやや遠いので、車を用意してもらえればと思っていた。彼女は手頃な価格で兄の車を明日の朝ホテルによこすと快諾してくれた。その後も彼女は親切にお勧めパゴダへの行き方や、その中のいくつかのパゴダに関するユニークな伝説等を聞かせてくれた。よし、では僕も多くの友人達が楽しんできたミャンマー旅を満喫してやろう、と期待を膨らませた。しかしこれから待ち受ける困難など、その時の僕は知る余地も無かった。。。

 

 腹ごしらえをと明日の手配を済ませた僕はミャー・ミャー・エーさんに別れを告げ、まずはすぐ向かいにある金色の屋根のパゴダ、シュエズィゴン・パゴダを目指してみることにした。さっそうと自転車を走らせて近付こうとした時、「チェンジマネー?」なんて声がどこからか飛んだ。やはりどんな遠くからでもすぐに外国人だと思われてしまうのか。やがてパゴダのすぐ近くまで差し掛かった時、そこに立っていた二人の男が僕に手招きをしてきた。

 「このパゴダを見るのか? ならば自転車はここに停めるんだ。」

そこはパゴダの参道の脇のスペースで特に自転車は一台も停められていなかったが、男達はここが駐輪場だと言う。しかもそれに従って自転車を停めるや、駐輪料金だと言って50チャットを請求された。今から別の場所に移動して、こいつらのいない所に自転車を停めて、またここに戻ってくるのも面倒だった。たかが5円だろ、とポケットから50チャットを出して男達に手渡した。

 「本物のルビーはいらんか?」

金を受け取った男達、今度はポケットから綿に包まれた何かを取り出した。そこには青白く光る石の粒が何個か入っていた。このおっさん達、一体何者? ここが駐輪場だなんてでまかせだろ。観光客にはまず警戒されるタイプの典型だな。僕は連中を無視してパゴダの中に入ろうとした。が、ここは正面入口ではなく、入口前に並ぶ土産屋の勝手口のような場所であった。大丈夫だからそこで靴を脱いで中に入れ、と先程の怪しいおやじ達も言うので、そのまま土産屋達が陣を構えるど真ん中から入り込もうとした。

 「さぁ、どうぞいらっしゃい!」

 「お兄さん、これいかがですか、安いよ!」

 「これ、ミャンマーの化粧品、買ってって!」

パゴダ入口に入ろうとした瞬間、僕はそこで待ち構えていた六、七人の土産屋達に取り囲まれていた。連中は僕の行く手を塞ぎ、それぞれ土産物を手に四方八方から体当たりするかのように押し迫ってきた。まるでラグビーか、押しくら饅頭か、はたまた早朝の山手線ラッシュのような勢いであった。「これ、プレゼント!」 などと言って連中は僕の両腕を押さえ、昆虫のブローチやら、切手やら、タナカーというミャンマーの白粉等を強引に持たせようとする。いらないよっ! 買物なんてしないって!! 僕は全身を使って腕にしがみつく連中を振り払い、前に立ちはだかる連中を押しのけた。買わないとわかると、一度プレゼントだなどと言って僕の手の平に置いた品々もきちんと回収して引き上げて行った。

 やれやれ、ここの物売り、インドより激しいな。溜息を一つついた僕は、気を取り直してパゴダの境内へと入って行った。

 境内に一歩足を踏み入れると、そこは静寂の空間であった。参拝者は少なくなかったが、それでもシーンとしている。強い陽の光に照らされた金色の屋根と白い建物がまばゆいばかりである。ここもヤンゴンで見たシュエダゴン・パゴダ(名前もよく似ている)と同様、中心となる大パゴダを中心に大小様々なパゴダが林立している。ふとある一郭に人々が集まっていた。ミャンマー人の若者の一団があるパゴダの脇で身をかがめながら、地面の一箇所をじっと凝視している。彼等の見ている所には直径10センチ程の小さなくぼみがあり、雨水が溜まっていた。皆さん何をしているのですか、と英語で聞いてみると、彼等の一人がパゴダの屋根を指差して言った。

 「ちょうどこのパゴダの先端部分がこの小さな水溜りにくっきりと映っているんですよ。」

僕も真似して身をかがめ、その小さな水溜りを覗いてみた。ま、確かに角度次第ではパゴダのシルエットが映って見えないことはない。これが何か縁起のいいことなのだろうか。あれだけ賑わう理由がよくわからなかった。この若者達はミャンマー第二の都市マンダレーから来た医学生達で、総勢57人の学生旅行で来たらしい。みんなシャイであったが、こちらから話しかけると屈託無い笑顔で答えてくれた。この時、境内の片隅を見ると、おばあさんの乞食が一人ぽつんと座っていた。すると学生達の何人かが彼女に両手で葉巻を手渡し、ライターで火をつけてあげていた。ミャンマーでは物を手渡す時、物を持った右手に左手を軽く添える。非常にアジアの礼節を感じる仕草で僕は好きである。葉巻を受け取ったおばあさんは黙って、まるで重役のように悠々と葉巻を吹かしていた。ミャンマーって誰にでも優しい土地柄なんだな、と証明できうる一瞬であった。

 しかし幸か不幸か僕は外国人。地元民はおよそ体験しないであろう苦労を多少味わわなくてはならない立場にある。それは境内を出た時から始まった。僕が土産屋達の店の外側に置いていたはずの靴が無くなっていたのである。この時、近くにいた中年夫婦の土産屋が僕を呼び止めた。何と彼等の店舗の場所に僕の靴が移動されているではないか!

 「あんたの靴、ちゃんと見ておいてあげたよ。見てあげたんだから買物してきなさい。」

僕はこの二人に靴を預けた覚えは無い。僕が境内に入った後、この連中が靴を持ち去って勝手に預かっていただけだ。次の瞬間二人は僕の右腕と左腕をがっしりと掴んで、無理に店先の小さな腰掛けに座らせた。僕がここにやってきた時、物売り五、六人に取り囲まれて腕を掴まれたが、その中にこの二人がいたのは間違い無い。この強引な掴み方、腕がよく覚えていた。

 「ヤスイネ。」

 「タカクナイネ。」

オッサンとオバハンは二人交互にそんな日本語を発しながら、次々と民族の刺繍の生地だの、シャンバッグだのを見せてきた。何でこんな奴等の品物を買ってやらないといけないんだ。怒りで言葉を発することも忘れていた僕であったが、同じ自分の中に潜む冷静なもう一人の自分が、連中の売る品物を物色していた。ミャンマー独特の操り人形劇で使われる人形が売られている。張子のダルマやフクロウと並んで、僕の中では最もミャンマーらしいアイテムだと前から感じており、安ければ買って来ようかなとも思っていた。よし、こいつらから存分に買い叩いてみるか。泣き言を言うまで値切ってやろう。失礼なのはこの連中なのだから。人形は約50センチあるナッ(神)と象の二種類があったが、象はタイやインドでもよく見かけるキャラなので、いかにもミャンマー的なナッの人形にトライしてみよう。連中の言い値は1万2,000チャット(1,200円)。僕はオバハンからすぐに計算機を引ったくり、半額の6,000チャット(600円)を表示した。二人はとんでもないと首を振り、1万1,500チャットだと言ってきた。もちろんこちらは妥協するつもりは無い。元々こんな連中から買物すること自体しゃくに障る話。少しでも不満なら引き上げるだけだ。席を立って帰ろうとすると二人は慌てて僕の腕を掴み、1万にするからと言って必死になっている。僕は6,000チャットの線から一切折れず、双方の言い値が近づかなければ何度でも席を立って去ろうとした。それを繰り返しているうちに値はどんどん下がり、最後はついに目標の6,000チャットにまで下がった。既にこの二人の顔に笑顔は無かった。境内に入る時に僕から笑顔を奪ったバチである。

 そこへどこからか若い男が現れ、僕の買った人形をビニールに梱包し始めた。しかしこいつ、梱包が終わるとそれを小脇に抱えてどこかに持ち去ろうとしたのだ。

 「おい、どこへ行くんだ?」

男は斜め向かいの土産屋の売り子だった。

 「次は俺の所で買物して行ってくれ。この人形は一旦預かっておく。」

冗談じゃない、何をバカな事言ってるんだ! 僕は男から人形を奪い返し、すぐにその場を後にして自転車に飛び乗った。

 

 パゴダの裏は素朴な農村のようだった。僕は少し歩いてみようと思い、その場に自転車を止めた。熱帯の木の生い茂る細い道を歩いて行くと、先程のパゴダの勝手口があり、そこには六、七人程の少年僧達が楽しそうにおしゃべりしていた。大きいのは中学生ぐらい、小さいのは5才ぐらいだろうか。皆オレンジ色の袈裟に坊主頭だった。英語がわかる子はいるかな、そう思ってハロー、と声をかけてみた。が、彼等の返事は僕の期待を大きく裏切ってくれた。

 「ギブミー マネー!!!」

そこにいた少年僧達は大きいのも、小さいのも、ほとんど異口同音に大声を発した。何と俗世界に染まった僧達なのだろう。観光産業がそうさせたのか。はたまた修行が足りなさ過ぎるのか。確かにこの国には托鉢の習慣があり、信者達は彼等にお布施をして功徳を積む。しかしギブミーマネーはあまりにも露骨ではないか。僕は幻滅し、元来た方向へ引き返そうとすると、チビの坊主が僕の横にぴったりついて右手をかざし、「ヘイ、ハロー、ギブミーマネー、ハロー、ギブミーマネー」としつこく付きまとってきた。お前はインドの乞食か。あと百年修行を積んでから来い。心の中で捨てゼリフを吐いてこのパゴダを後にした。

 やれやれ、不愉快な思いをした。シュエズィゴン・パゴダを離れて再び一直線の道路に戻り、風を切ってひたすら走った。道の両脇に広がる平原には、赤いレンガでできた大小様々なパゴダ群が立ち並んでいる。いやいや、それにしても暑い日差しである。正面からぶつかる風は温風そのもの。早くパゴダの中に入って涼もう。

 

 やがて現れた古いレンガ造りの巨大な門がオールド・バガン到着を知らせる。観光馬車やサイカーもやたら沢山待機している。その時、視界には二つの巨大な寺院跡が目に映った。これが、先程ミャー・ミャー・エーさんが教えてくれたオールド・バガン最大の遺跡、アーナンダ寺院とタッビーニュー寺院か。僕は近くに自転車を停めると、まずはどっしりと構えたピラミッド風のタッビーニュー寺院に足を踏み入れた。

 ちょうど寺院の四方を囲うように回廊が伸びており、中をゆっくり見て回る。途中途中には金色に輝く仏像が鎮座しており、見学者はまばらにもかかわらず不思議と常に視線を感じる。特にある一体のリアルな黄金仏は、ちょうど僕の頭上少し上から見下ろす位置におり、まるで止まれと命令しているかのようにじっと僕を見つめていた。僕は思わずその場に立ち止まり、ミャンマー人がよく境内でやっているように、その場に座り込んで仏像に手を合わせながらしばらく眺めていた。

 「全く、せっかくバガンに来たってのに、うるさい物売りとかに振り回されて、ほんと嫌気がさしてきましたよ。こっちは楽しみたいのに・・・。」

僕は仏と話していた。話していたと言うか、ここに来るまでに起こった出来事を思い出し、グチを一方的に聞いてもらっていた。黄金に光る仏像は表情こそ無いものの、とりあえず聞いてくれていたようだった。と言うのはあくまで僕の解釈ではあるが。

 

 ふとその時、背後から突然「ハロー」という声がしたので、ビクッとして振り向いた。この回廊、外部の光を取るため、外に面している壁は網目状になっており、外から内部を見ることができる。その網目の壁の向こうに一人の現地の少年がいた。黄色い雨ガッパを羽織り、肩から学生カバンのようなものを提げていた。流暢な英語で人懐っこくいろいろ話しかけてきたので、僕達は壁越しに向かい合って座りながら、しばしおしゃべりをした。タイミングがタイミングだっただけに、グチばかりの僕を見かねた仏様が紹介してくれたのかな、とすら思ってしまった。

 「僕の名前はピューピュー。今年で11才。毎週この近くで絵を習ってるんだ。帰りにいつもここに寄って外国の人と話をしながら英語も勉強してるんだよ。」

 「へぇ。えらいなあ。ずいぶん勉強熱心なんだね。」

 「うちのお父さんはこの近くのイラワジ河で漁師やってるんだ。だけど僕、将来コンピューターのエンジニアになりたいから大学に行きたいんだけど、家が貧しいから、まずは英語を勉強して何とか試験に受かりたいと思ってる。それにここでいろんな国の人とお話するのって、すごく楽しいよ。」

ピューピューはそう言って目を輝かせた。まだ小さいのに将来のビジョンを持って、その実現のためにこうして地道に努力しているとは、やはりミャンマーにはすごい人材が沢山眠っているのだろう。彼も日本のことや僕のことを興味深くいろいろ聞いてくるので、会話は結構盛り上がった。そのやり取りを見て何人かの地元参拝者達も足を止め、僕達のやりとりを興味津々に聞いていた。ピューピューは英語がわからない人のために、会話の所々で今こんな話をしてるんだよ、とビルマ語で通訳していた。そのうち参拝者のみならず、壁の外、すなわちピューピューの側にいる物売りも興味を持って顔を出してきた。ある一人の男が僕達の会話を遮ってルビーを買わないか、と言ってきた。僕がいらないと答えると、わかった、買わなくていいから俺も話に混ぜてくれと、会話の輪の中に入ってきた。僕が東京から来たと言うと、男は「オー、トーチョー、トーチョー、グーッド!」と言って親指を立てていた。ミャンマー人は「KY」を「チ」と発音するので、トーキョーはトーチョーになる。

 僕達はしばらく歓談した後で別れた。つまりピューピューとルビー男はその場から離れて行き、僕は引き続き寺院を見学した。回廊の角にさしかかった時だった。網目の壁越しから声をかける子供が再び現れたのだ。先程のピューピューと同じく雨ガッパを羽織っている。肩から提げる学生カバンのようなものまで同じだ。違うのはピューピューの雨ガッパが黄色だったのに対し、この子供のは青だった。子供はカバンからいくつかの絵葉書を取り出すと、単刀直入に買えとしつこく迫ってきた。パッと見た感じ、僕が先程ニャンウーの市場近くで買った絵葉書と全く同じ図柄だったので、もう買ったからいらないよ、と断り、回廊を曲がってそのまま見学を続けた。するとガキ、また次の角の所で待ち伏せており、生意気に「買ったと言うのなら、その買った絵葉書を見せてみろ」と言ってきた。ああ、いいよ。見せてやるよ。そう思って自分のシャンバッグを開いたが、先程買った大きなミャンマー人形が上の方にあり、バッグの下の方はゴチャゴチャといろいろな物が入っていてよく見えない。物売りへの言い訳のためにここから絵葉書を探し出すのが何だかバカらしくなってきた。するとガキは「ほらみろ、無いんじゃないか。買えよ」と押し売りのようなことを言ってきた。しゃくに障った僕、いらないから買わないんだよ、と一言吐き捨てて再び回廊の角を曲がった。ガキはそれでも懲りずにまた次の角で待ち伏せ、持ってないのなら買えと、逆ギレしてるかのようにしつこく同じことを言ってきた。気がつくと既に回廊を一回りしていたので僕は寺院を出た。するとガキも入口でちゃんと待っており、相変わらず悪態をつきながらまとわりついてきた。もうこのガキと口を聞くことに疲れた僕、そのまま無視して出ようとした。ガキが横にピッタリついてこようとした時、先程のピューピューがどこかから現れ、このガキを説き伏せるようにして僕から引き離してくれた。

 「ああ、ピューピュー。ありがとな。」

 「いえいえ。あなたはせっかくこの素晴らしい寺院を見に来てるというのに、不愉快な気持ちになってしまっては僕もイヤだから。」

彼のしっかりした態度に感心した僕は、寺院を出た後もしばらく彼とおしゃべりした。ウォークマンで聞いていたミャンマーのポップス等を彼に聞かせてあげたりもした。するとその時だった。ピューピューがポケットからおもむろに粘土製の仏像のようなものを取り出した。

 「これ、お父さんが作ったんだ。10ドルでいいから買ってよ。」

耳を疑った。ま、先程のガキと似たような格好をしていたからもしかしてとは思っていたが、これまで物売りのような素振りは一切見せなかった彼が、別れる直前に豹変したことに驚きを隠せなかった。しまいにはピューピュー、「ヤスイネ、ヤスイネ!」と、まるでシュエズィゴン・パゴダの物売りのような日本語まで発していた。

 「バイバイ、ピューピュー。話できて楽しかったよ。」

たったの10ドルだよ、いくらなら買ってくれるの? 引き止めようとする彼を振り返ることなく、僕は自転車を走らせた。普通の地元民を演じて最後は「ヤスイネ」か。とんだ11才だ。最後に不愉快な気持ちにさせたのがまさか君とは思わなかったよ。

 

 タッビーニュー寺院の隣にもう一つ、アーナンダ寺院という大きな寺院がある。この寺院ではバガンの市民が集う収穫祭が毎年行われ、現役で信仰の対象となっている所である。今度こそゆっくり見学しよう。そう思って中に入ってみた。しかし入口をくぐって一分後にその思いは砕かれた。

 「こんにちは。どこから来ましたか?お土産はもう買いましたか?今なら特別に安くしていますよ。英語はわかりますか?」

ややはにかむような笑顔で、それでいて流暢な英語を話す美しい女の子だった。二時間ぐらい前に会っていれば、冗談を挟みながらちょびっとおしゃべりでもし、土産の一つや二つでも買ってあげたに違いない。しかしタイミングが非常に悪かった。バガンに着いてからというもの、サングラスのタクシー男、駐輪場の怪しいオヤジ、パゴダの無礼極まりない物売り達、門前で金をせびる少年僧、しつこい絵葉書のガキ、そしてピューピューの一件・・・。たとえその次が美人であったって、いい加減もうウンザリであった。僕はわざと英語が全くわからないフリをし、中国語を話した。彼女もさすがに中国語はわからない様子だったので、しめしめと上への階段を昇った。お店で待ってるわよ、後ろから彼女の声が聞こえたが、僕はこれでしつこい物売りが消えてくれたと、ニヤっと笑い、寺院からの眺めを束の間楽しんだ。しかし、後ろ右側に何か殺気のようなものを感じ、ふと振り向くと、例の物売り娘がまだそこにいるではないか。バガンでは一人で気楽に遺跡観光はさせてもらえないのだろうか。はたまた今日はたまたま運が悪いだけなのか。。

 再見(ザイジエン)、と彼女に別れを告げてさっさとこの場を去ろうとした。すると出入口の所で聞き覚えのある男の声を聞いた。

 「グッバイ、トーチョー!」

先程タッビーニュー寺院でピューピューと話していた時、会話の輪に加わってきたルビー売りの男。場所を移動したのか、アーナンダ寺院の入口に座っていたのだった。次の瞬間、物売り娘の甲高い嘆きの声が背後で響いた。何よ、あの人、日本人だったの?! 英語がわからないフリして騙したのね?! キーッ!!! と言っていたのだろう。ちょっとかわいそうなことしたな、とは思ったが、元々土産を買わせることが目的でまとわりついてきただけなのだし、僕ももうこれ以上貴重な時間や観光気分を食い尽くされたくはなかった。

 さっさと自転車に飛び乗り、この数時間で腹に溜まったムカムカ感を押し出すかのように強くペダルを踏んでしばらくスピードを上げて走っていると、やがて洋梨を思わせる不思議な形をしたパゴダが見えてきた。確か昔この地に現れた怪物を模したと言われるブッパヤという名のパゴダだった。しかし近付いた途端、パゴダ周囲に座っていた物売りと思われる一団がスックと立ち上がって戦闘体制に入ったので、僕は立ち寄る気力をすっかり消失してしまった。パゴダ観光、本日は終わりっ! 僕はそうつぶやいてニャンウーの方向へとハンドルを切ったのだった。

 でも、まだ夕方にもなってないし、このままホテルに戻るんじゃ僕は遺跡群でイヤな目に遭ってきただけじゃないか。それもくやしいなぁ。シュエズィゴン・パゴダの近くまで戻った時、僕は何となく人気の無い山道を見つけ、自転車を押しながらトボトボ歩き出した。その時、どこから現れたのかいきなり一匹の犬がワンワンワンワン!と、突然吠え付いてきた。あまりに急だったので僕は驚いて固まってしまったが、この後すぐに犬の背後の方から一人の老僧が現れたかと思うと、犬は急に静かになった。

 「あなたが行きたいのはこっちじゃなくて、そっちだろ?」

老僧は英語で一言そう言うと、もう一つ向こうにある山道を指差した。特に行く先なんて無かったのだが、そっちの道に何かがあるのだろうか。あまり観光化されていない、うるさい物売りもいないパゴダがひっそりとあるのかも知れない。僕は何もわからないままにただ老僧が指差した山道の方に向かって自転車を走らせることにした。

 何も無い山道を進んで行くと、やがて僧院らしき場所にさしかかった。普通の寮のような感じのたたずまいで、時々オレンジ色の袈裟を着た僧侶が廊下を歩いているのが見える。僕は休憩がてら入口にあるベンチにしばらく腰を下ろしていた。中に僧侶がいるようではあったが、特に誰も出て来る気配は無かったので、山道の方を向いて少しウトウトしながら景色を眺めていた。

 しばらくすると、山道を埋め尽くすほどのヤギの群が突然現れてびっくり。こんな所にヤギなんているのかと、しばらくボーっと見ていた。砂埃が立ち込める群の最後尾で、ヤギ追いの男が長い棒を持って追い立てている。僕は特に理由も無くあの群について行こうと立ち上がったが、自転車にまたがった時には、群は既にずっと先の方に行ってしまっており、結局見失ってしまった。

 

 とりあえず山道を再びまっすぐ進んで行くと、日焼けで黒光りする筋肉をさらけ出した男達の一団が、汗だくになってレンガを積み上げていた。どうやら新しいパゴダを建てているようだった。ここバガンでは古代の遺跡としてパゴダが存在しているだけでなく、現在進行形でパゴダが今尚建てられているのか。男達は僕を見ると笑顔で「ハロー」と手を振ってきた。僕も笑顔でそれに答え、この先にパゴダはあるかい? と、英語で聞いてみた。

 「ノー パゴダ、オンリー ○○!」

男達はそう返事した。パゴダは無い、○○だけだ・・・。○○って何だろう。よく聞き取れなかった。パゴダが無いのであれば、これ以上先に行っても仕方無いな。でもパゴダの代わりに何かがあるようだから、とりあえずそれが何なのか見に行くだけ行ってみよう。大したこと無ければここに戻って男達のパゴダ作りでも手伝おうかな。この先は木の茂みが深くなり、やや薄暗くなっている。自転車での移動は難しいと判断し、茂みに入る手前で自転車を停めて歩くことにした。しばらく林の中を進んで行くと、ふと水の流れる音が聞こえてきた。それもチョロチョロといったレベルの水ではない。もっと大きな流れだ。どんどん足を速めて林を抜けた時、視界には巨大な河が広がっていた。そうか、これはミャンマーを南北に縫う大河、イラワジ・・・。パゴダ作りの男達が言ってたのはこの河のことだったのかも知れない。僕はしばらくその河の勇姿に見入っていた。