第十四回 「熱風アラビア道中」
          
(バーレーン・シリア・カタール編)

Bahrain

Syria

Qatar


バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日

訪問地:マナーマ、ムハラク

 

シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間

訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ

 

カタール旅の期間:2007年5月4日 1日

訪問地:ドーハ




パルミラ: 観光地の憂鬱 

 

 翌朝6時。突然バシールからモーニングコールがかかってきてびっくり。信心深い彼のことだから、早朝礼拝のついでだったのかも知れないが、それにしてもこちらが面倒くさいぐらいよく面倒を見てくれるお人だ。そうこうしているうちに彼はホテルのフロントまで迎えに来た。

 7時半にチェックアウトした僕はバシールとホテルを出る。すぐ近くに路上カフェがあり、そこでお茶と揚げパンの朝食を摂った。口喧しく付きまとってくるヤツではあるが、彼とももうお別れかと思うと、何だか寂しい気もする。

 「二日後にはきっとトルコに行っているとは思うが、入管がダメと言ったらいくらねばってもここからは動けない。君がダマスに戻って来た時、もし僕もここに残っていたなら、普段縄張りにしている所を一応教えておこう。ここを真っ直ぐ行った所のジュース屋の辺りだ。きっとその近辺で時間を潰してる。昨日君を初めて見かけたのもあの辺りなんだぜ。なあに、ジュース屋にバシールと言えば、きっと呼び出してくれるよ。」 

バシールはそう言うと席を立ち、すぐにタクシーをつかまえ、バスターミナルへ行くようアラビア語で告げてくれた。

 「ダマスで君と再会するのは、本当はあってほしくないのだが、アッラーが望むのであれば、また会おう!」

 タクシーに乗り込む僕は窓越しにバシールと握手を交わして別れを告げる。その後なぜか路上カフェの兄ちゃんも握手の手を差し出す。とにかくパルミラへ出発だ。

 

 バスターミナルから現地の人々で満席のバスに乗り、ダマスカスを出て2時間ちょっとの移動だ。エアコン付でミネラルウォーターのサービスもあって、思ったより快適だ。ダマスは砂色をした岩山に囲まれたような街だったが、窓の外は早くも平坦な砂漠地帯。下半分が砂丘で上半分が岩の絶壁という奇妙な姿をした山々が地平線に沿って延々と連なっている。ふとこれまで一直線道路であった道と垂直に舗装道路が一本現れたかと思うと、運転手が僕の方にやって来て、パルミラに着いたよ、と告げる。ここで僕と、別の席に座っていたバックパック姿の白人女性が降ろされ、現地人を乗せたバスはそのまま走り去って行った。

 舗装道路の向こうには小さな町が見える。あれがパルミラか。歩いても行けそうだな。既に僕より数メートル先を歩き始めていた白人旅行者に声でもかけて一緒に行こうか、そう思った矢先であった。

 「ハロー、町まで行くよ、10ポンドでどうだ!」 

一台のワンボックスカーがいきなり現れ、車体を僕の方に寄せて徐行しながら言い寄ってきた。デブで色黒の運転手である。町までは歩こうと思えば歩ける距離。実際あの白人女性だって歩いているのだからと、最初は無視していたが、デブは引くことなく僕と並走しながら口説き続け、運賃は5ポンドに下がった。ま、いいか。すぐそこまでだしな。僕は運転するデブの助手席に座った。10ポンド硬貨しか無かったのでそれを渡すと、デブはおもむろに一個のリンゴを取り出して僕に手渡してきた。おい、これがお釣りかよ!

 

 アジア旅が好きな仲間達と話していると、必ずしもみんな遺跡に興味があるわけではないことに気づき、これまでの自分の旅を振り返って考えてみた。そう言えばアジアって、どこの国にも「最大の見所」と言われる遺跡が必ずあり、何となくそこに行かなきゃその国に行った意味が無いというような観念に捉われ、つい行ってしまうのはよくあること。確かにその風景は素晴らしく、写真もいっぱい撮りまくってしまうのだが、正直な所そこまでである。歴史は嫌いじゃないし、遺跡も興味無いわけではないのだが、その場に立って当時の風景を重ね、その時代に思いをはせることができるほど好きってわけではない。ま、スゴイ物作ったなぁ~って程度かな。いつもそんな感じなので旅から帰って来ると、一日かけて遺跡を見たことよりも、たった数分間現地人と触れ合った出来事の方が遥かに鮮明に覚えているものなのである。今回の遺跡観光もその一例と言えるだろう。  

 「旦那、どこのホテルへ行くんだ?」 

町までの直線道路を走りながらデブが聞く。 

 「タワーホテルって 所がいいと思うぜ。な、タワーホテル。いいだろ?」 

ガイドブックを見るとそのタワーホテルって所は少し高めだ。

 「いや、ツーリスト・ホテルに行きたい。」 

僕はそのガイドブックにある一番安い宿の名前を出すと、デブは首を振って言う。 

 「あそこは汚い所だ。タワーホテルの方が清潔でいいよ、な、タワーホテル。いいだろ?」 

なんだ、この男は。タワーホテルの回し者か。そんなにしつこく言われるとかえって行きたくなくなる。

 「タワーホテルには行かない。そこより安い所だったらいいよ。」 

僕がそう答えると、結局サン・ホテルという比較的新しい宿に行き着いた。やれやれ、一休みしてから観光するか。そんな気分を遮ってこのデブ運転手、間髪入れずに問い続けてきた。 

 「な、これから観光するんだろ?なら俺の車を使えよ。800ポンドだ。ちょうどドイツ人の旅行者も連れて行くんだ。だから悪いが早く決めてくれ。」 

うるさいなぁ…。人の旅を振り回すなって。事前に得た情報によると、パルミラ遺跡の大部分は町から歩いて行くことができる。車が必要なのは遺跡群から少し離れたアラブ砦だけである。 

 「車はいらないよ。アラブ砦だって自分で歩くから。」 

僕はそう言って断った。 

 「見所はアラブ砦だけじゃない、ハッカも素晴らしいぞ。そこへ行くには車が絶対必要だ。」

デブはなおも身を乗り出して力説する。そのハッカって何? アラブ砦の反対方向に「墓の谷」と呼ばれるローマ人の墓の跡がある。なるほど、このデブ、日本語の「墓」のつもりで言ってるのね。 

 「800なんて冗談じゃないよ。300がいいところだろ。」 

僕は全く興味なしという態度で言うと、値が一気に400まで下がった。

 「300だったら行ってもいいよ。墓とアラブ砦だけね。あとは自分で回るから。」 

ダメ押しに僕がそう言うと、デブもしぶしぶ300に合意。部屋に荷物を置いた僕はすぐに出発することになった。 

 まずは「墓の谷」へ向かう。そこまでの道中、ほれほれ、とデブは自慢気に一冊のノートを取り出し、日本人旅行者がこの男に書いたと思われる評価文を見せてきた。「この運転手さんは少しふっかけてきますので、頑張って値切って下さい!」と書かれていた。僕は笑うのをこらえてノートをデブに返す。きっとこいつ、いい誉め言葉がいっぱい書かれていると信じているのだろう。車はやがて「墓の谷」へやって来た。砂漠の中に点々と立ち並ぶ直方体のタワー型高層建築。日本のじいさんばあさんのツアー客や、欧米人客、インド人の大使館関係者達の団体で賑わっていた。渡航費用の高いGWシーズンゆえか、バックパッカー風の日本人は見かけなかった。狭くて暗い入口をくぐり、やや急な階段を一列に並んで上に昇ってみたが、肝心な屋上が改装中で結局上からの景色を見ることはできず、みんなガッカリして引き返す。なんだ、こんなことなら「墓の谷」なんて来なくてもよかったな。

 次に入った墓は地下にあった。各国の旅行者にガイドが各国語で説明をしており、真っ暗な洞窟に英語やフランス語、ギリシャ語が響き渡る。足を踏み入れるや管理人のオヤジに写真撮影は厳禁だ、と怖い顔で言われたが、彼の座る周辺の壁は無数の落書きで彩られていた。写真撮影より落書きをまず取り締まれよ、と思わす言いたくなる。

 墓から出て来る観光客を取り囲むは物売り達。スカーフのようなものを売っていた男が僕を見て日本語を発した。 

 「コンニチハ、ワタシノ ナマエハ、タカシデス。」 

 先程のサン・ホテルには以前日本人旅行者が書いた有益情報が張り出されていた。ここパルミラではタカシと名乗る男が何人かおり、彼等に騙された日本人旅行者が後を絶たないので絶対に注意するように、とあった。ハハハ、あんたが有名なタカシさんか。お会いできて光栄。僕は軽く挨拶だけして車に乗り込んだ。

 

 お次のアラブ砦まで行く道中。デブが相変わらずうるさい。 

 「今晩はどこで食事するんだ? いいレストラン知ってるぞ。そうだ、砂漠のテントでベリーダンスのショーが見れる所なんかどうだ? 明日はどこに行くんだ? アレッポならこの車で連れてくぞ。どうぜアレッポに行くなら、途中洞窟があるから、そこにも行ってみた方がいいぞ。どうだ、行くか? そうそう、湖はどうだ?」

ああ~っ、うるさ~いっ!! 仮に僕がそれらの場所にすごく行きたいとしたって、この男とだけは絶対に行きたくない。

 「アラブ砦まで。その後町へ戻ればそこで終わりっ!」 

 何度同じことを言っただろうか。頼むからリラックスさせてくれよ。しかもこのデブ、素直に目的地まで行ってくれればいいものを、途中途中で歩いている人を見つけては一人でも多く車に乗せようと営業活動に勤しむばかりで、全然前へ進みやしない。一人誰かが乗り込むと急に機嫌がよくなり、音楽のボリュームを上げてヤッラ~、ヤッラ~と手を叩いてはしゃぎ出す。僕にも手拍子を強要する。釣れない態度を取ると今度は急にブスーッとして音楽のボリュームを下げ、無言で車を走らせる。何とも単純な男。大分時間はかかったが、やがて山頂にあるアラブ砦に到着した。

 「5分で戻って来いよ。」 

うるさい、勝手な事言うな。僕は砦の中をゆっくりじっくり散策した。巨大な城壁に囲まれた砦の内部は迷路のようになっていて、いくつもいくつも部屋がある。部屋の天井には少し穴が開けられ、そこから射しこむ陽の光のみで照らされた薄暗い空間。部屋には時々深い穴があるので、気をつけて歩かないと足を踏み外して奈落の底へまっさかさま。探検気分で狭い道を手探りで歩くと、突然まばゆい光が目を襲い、やがてパルミラの全景を見渡せる砦の最上階へと出る。この周りは点在する遺跡を除くとどこまでも砂の海であった。

 アラブ砦を満喫した後でデブの車に戻る。砦の山から降りる途中で人を見つけると、上まで上がるのかと声をかけ、その人が乗り込むとなったら嬉々としてまた山頂へと引き返している。全く何やってんだ、早く行けよ。この男は人をイライラさせる天才だ。

 そんなこんなで時間かかったが、車はやっと町の近くにあるパルミラ遺跡群に到着。ここからは歩いて行動できる範囲。僕は300ポンドを払って降りようとした。

 「待ってくれ、400ポンドだ。」 

セコイなこの男。旅をしてて一番嫌いな運転手の典型。 

 「ハッカに行く時、俺があんたから入場料受け取っただろ? 実は100ポンド足りなかったんで俺が立て替えたんだよ。」 

見え透いたウソをつくデブ。 

 「じゃあ、そのチケットを見せてくれよ。」 

 「いや、チケットはそのまま門番に渡した。」 

だったら知らん。降りるよ。

 「いや、待ってくれ!100ぐらいバクシーシ(チップ)くれよ。」 

何がバクシーシだ。チップってのはそれ相当のサービスに対して払われるもの。満足いくサービスをしていない者に限ってバクシーシって言葉をよく使う。

 「細かい金は全然無い。今あるのは1,000ポンド札だけ。だから払わないよってんだ。」

僕はポケットをつまみ、何も入ってないことを強調。するとデブはサイフからいくつか札を出し、一枚一枚数えながら言った。

 「ここに600ポンドある。これであんたの1,000と換えればちょうど400だろ?」 

デブ、いい加減にしろよ! 

 「タクシーは全然儲からないんだぁ!! 100ぐらい助けてやってくれぇ!!」 

デブは頭を抱えて騒ぐ、騒ぐ。うざったかったが、一方僕は最高額の1,000ポンド札しか無いと、この後いろんな場面でお釣りが出ないとかでいろいろ不便が生じることを少し心配していた。こんな奴に100ポンドもチップするなんてメチャメチャしゃくではあったが、細かい金を入手する意味でしぶしぶチェンジし、別れの挨拶もせずに車をさっさと降りたのだった。 

 

 かくして降りたその場所は、一面に広がる古代ローマの壮大な建築群。誰がどうやったって動かすことはできない太い柱が青空を突き刺さんばかりにそびえ、それが並木道のようにずっと先の方まで一対になって続いている。おお、これは確かにすごいな、と溜息が出る。パルミラとはナツメヤシ(パーム・ツリー)を語源としており、古くからナツメヤシの生い茂るオアシス都市として東西交易の要衝となり、長らく繁栄を続けてきた。この地はローマの植民地となることで大きな富を築いてきたが、実質この地を支配していた自称クレオパトラの子孫、ゼノビア女王が独立を求めてローマに反旗を翻す。一時はローマ軍を中東地域から追い出すかの勢いであったが、短期決戦で決着しなかったために次第に戦況は悪化、最後は街ごと焼き払われて歴史の中から消えたという、そんな遺跡である。ほぼ完全な状態で残っていた円形劇場跡では学生旅行らしき地元の若者の一団を見かけた。女性は白いスカーフをかぶっている子とファッショナブルな服装でおしゃれにキメている子が約半々。ふと一人の男子学生が手に持っていた太鼓を叩き始めると彼等は一斉に劇場舞台に集合し、男女交互に手をつなぐと、ごく自然な様子で踊り始めた。僕はそんな彼等を近くで見ていたが、彼等は誰一人としてこの異邦人に関心を示すことなく、まるで俺達は俺達の青春を楽しんでるんだ、とでも言うかのように自分達の世界に陶酔している様子で踊りまくっていた。何かちょっと壁のようなものを感じ、劇場跡を出る。  

 外には飲物屋がいた。おっ、昨日バシールと飲んだ「オリエンタル・コーラ」じゃないか。一本買って飲んでみると、ゲッ、まず~っ!! 缶をもう一度よく見てみたら、同じ図柄ではあるが、「オリエンタル・ソーダ」と書かれている。外国でソーダとは、ただガスだけ入った炭酸水のこと。はっきり言ってまずい。あんな水を作って売るセンスがわからない。結局飲むに飲めず、捨てる。気を取り直してローマ風の柱の並木道を歩いて行くと、色黒の若い男が現れて「タクシーはいらないか」と聞いてきた。こんな遺跡の中でタクシーも何もあるか。ノーサンキュー、と断ると、その男はヘンッ!! と露骨にふてくされた態度を示して去って行った。後で知ったのだが、遺跡の中でのタクシーというのはラクダに乗って移動することらしい。それにしてもあの態度、不愉快であった。遺跡群を離れ、僕はベル神殿と呼ばれるエリアに近付いた。これもまたパルミラ遺跡群の一つであるが、ここは有料である。入口はどこだろう、とウロウロしていると、どこからか声がかかった。振り向くと、近くの集落の軒先で日向ぼっこをするじいさんが手招きをしている。ああ、地元民だ。ちょっとリラックスできるかな。僕はじいさんのいる方に歩いて行った。 

 「ベル神殿は今クローズしてるよ。夕方の4時からまた開くんだ。」 

アラブ風の衣装を身にまとったじいさんはのんびりタバコをふかしながらそう言った。 

 「ま、ここに座ってゆっくりしていきなさい。」 

お言葉に甘えて彼の隣に腰掛けて、しばしおしゃべりでもしようと思った。するとじいさん、足元に置かれたズダ袋をおもむろにつまみ上げたかと思うと、中からカフィーヤと呼ばれる黒い輪っかを頭にはめるアラブ人伝統の頭巾を取り出し、僕の頭に装着しようとするではないか! まさか、このじいさんも物売りだったの? こりゃ油断した…! 少し値切らせてはもらったけど、結局買わされる羽目に。

 「ところであんた一人かね? 」 

うん、一人だよ。 

 「何で彼女か奥さんと一緒じゃないんだい?」 

いいじゃない一人旅だって。 

 「でも何でまた彼女も奥さんもいないんだ?」

大きなお世話だよ、じいさん。 

 「いや、それにしてもどうして…。」 

もう、うるさいなっ! 僕は立ち上がってこの場を去ろうとした。 

 「いや、待て。座ってゆっくりしていきなさい。」 

こんな所でゆっくりしてられるか、と捨てゼリフを吐いて去ろうと思った時だった。さっき不愉快な態度をとったラクダタクシーの男が再び現れたのだ。なるほど、ここは遺跡の物売り連中の集落だったのか。この男、ラクダの上から何やらアラビア語で僕にまくし立てている。断ったことを逆恨みして文句をたれているのだろうという想像はついた。するとじいさん、急にその場から立ち上がるとすごい剣幕でラクダの男に怒鳴りつけた。こりゃたまらんとばかりに退散して行く男。

 「もう安心だ。さ、座りなさい。」 

じいさんはそう言ってまた僕に座るよう促すので、ちょっとだけ座ってやることにした。 

 「なぁ、ペンを持ってるかね?」 

来た来た。ここで言うペンというのは何かを書くから貸してくれというのではなく、単にくれとねだっているのだ。僕はちょうどインクの出の悪いペンを一本持っていたので、それでもくれてやってこの場を去ろうと思った。

 「おう、いいペンだな。ではこれはわしの子供にプレゼントするよ。で、あんた4時にまたここに来るんだろ? その時悪いが、わし用にもう一本持って来てくれないか?」

じゃあね、じいさん。ベル神殿、二度と来ないよ。二度と…。僕はそのままサン・ホテルまで歩いて帰った。ホテルの広間でシリア料理の夕食を摂り、若いオーナーのアハメド氏としばしお茶を飲んだ後、すぐに部屋のベッドに倒れこみ、そのまま眠りについた。何度か目を覚ましたものの、表に出ることなく部屋に引きこもっていた。思えばあのデブに振り回されてからというもの、運気が下がりっぱなし。パルミラ、もういい。疲れた。明日はすぐにアレッポへ出発だ。

  ここに来なくてはシリアに来た意味が無いと言われる町、パルミラ。来てみれば一番シリアらしくない町、パルミラ・・・。