第十四回 「熱風アラビア道中」
(バーレーン・シリア・カタール編)
Bahrain
Syria
Qatar
バーレーン旅の期間:2006年4月27日 1日
訪問地:マナーマ、ムハラク
シリア旅の期間:2006年4月28日~5月3日 6日間
訪問地:ダマスカス、パルミラ、アレッポ
カタール旅の期間:2007年5月4日 1日
訪問地:ドーハ
アレッポ: ちょっと振り向いてみただけの…
ここはダマスカスとアレッポの真ん中にあるホムスという町。ボストンバッグを担いだ一人の異邦人が交差点で路頭に迷っている。パルミラを出た僕、アレッポを目指しバスに揺られてここまでやって来た。共にシリアの見所であるパルミラとアレッポだというのに、実はこの二都市間に直行バスは無く、ここホムスで乗換えないといけないのだ。しかも、降車後バスターミナルかと思って行ってみた所はただの車庫で、アレッポ行くならそこら辺のセルビスをつかまえな、と軽くあしらわれてしまった。そんなわけでアレッポ行きのセルビスを求めて交差点にたたずむ僕。同じ場所にはそれぞれ行きたい方向のセルビスが来るのを待っている地元の人々がいっぱい。1台現れるとみんな一斉に駆け出して押しくら饅頭を始め、元々混んでいる車内が限界になるまですし詰め状態になると、やがて走り去って行く。僕の場合、それ以前に行き先が全てアラビア語オンリーなので、どれがどこへ行くのかさっぱりわからない所で既にアウト。おまけに人々は老いも若きもみんな車が来たら一番乗りして席を確保せんと目をギラギラさせており、こんな所でオロオロしている外国人のことなど気になんか留めてる場合じゃない。しかしこのままでは先へ進めないのは僕だけだ。そこで思い切って近くの人に聞いてみる。アレッポと発音しても通じない。ガイドブックのアレッポの記述の所に書かれたアラビア語表記を見せてみる。現地ではハラブと発音されていることを知る。すると近くの人々があれに乗れ、と3台一度にやって来たセルビスのうち1台を指差す。僕はとにかくその車の方へとダッシュした。
早速目当てのセルビスに乗り込むと、中は案の定満席。意外にも乗客のほとんどが女性であった。仮に席が空いていてもイスラム社会では男女が隣り合って座るというのはご法度。状況を判断した僕はボストンバッグを安全な場所に置き、入口近くの床に直接座ろうとした。その時、後部座席にいた二人の洋服姿の女性が少し席を詰めてスペースを作ると、こっちに座りなさいよ、と笑顔で席を勧めてくれた。いえいえ、大丈夫ですよ、と遠慮すると、今度は中列二人掛けの座席にいた黒ベールの女性二人のうち一人がここに座りなさい、と自分の座っている席をポンポン、と叩き、今さっきスペースを空けてもらった後部座席の方へ移動してくれた。いや、どうもすいませんねぇ、ショクラン、ショクランと丁重にお礼を述べ、中列の席に座る。車内の女性の方々みんな笑顔だなぁ。何だか嬉しいなぁ~。後部座席の洋服の女性二人は特に人懐っこく、アラビア語と簡単な英単語を混ぜて時々話しかけてくれた。二人共すごい美人であったが、うち一人は恐らくティーンエイジャーかな。連れにもう一人男性がいた。では夫婦と娘なのだろうか? それにしては奥さんらしき女性が若過ぎる。親子には見えない。その謎を解明する程の意思疎通はできなかったが、僕がアレッポに行くと言ったら、この三人家族(?)も一緒の場所まで行くから大丈夫だ、と答えてくれた。ところでこのセルビス代金はいくら? 僕が聞くと、彼等はニコニコして言う。
「大丈夫、もう払ったから。」
えーっ!? 今乗り合わせただけの外国人のためにセルビス代、払ってくれちゃったの? それは悪いじゃないですか! 確か前にもダマスでこんなことがあったな。彼等はあの時聞いたのと同じ言葉「ラー・ムシュケラ(No Problem)」を繰り返して微笑む。頭が上がらない思いだったが、ありがとうございます~! ここは感謝して好意を受け取ることにした。
「ここよ、一緒に降りましょ。」
三人は僕に降りるよう促す。えっ、まだ10分ちょっとなのにもうアレッポ? そんなわけ無いよな。降りてみるとそこはバスターミナル。なるほど、アレッポ行きのバスはここから出ているわけだ。家族っぽい彼等三人にもう一度感謝してお別れ。チーズとジャガイモを現地のパンである「ホブス」でくるんだ軽食を昼メシにしてからアレッポ行きのバスに乗り込み、更に2時間揺られた末、やっとアレッポに到着。でも、これまた到着した場所が一体アレッポのどこら辺なのか全然わからない。安宿の多いバブ・エル・ファラージ地区へはどう行ったらいい? 近くのバス停にいる人々の中から無作為に一人の青年を選んで聞く。彼は英語がわからないようだったが、自分もバブ・エル・ファラージまで行くから一緒のバスに乗ればいい、というようなことを手振り交えながら答えてくれた。15分程待つとやがてバスが来る。人々が運転手に金を払っているので僕もサイフを取り出すと、何と運転手、「ウェルカム! ノーブロブレム!」と言って金を受け取ろうせず、そのまま席に座るよう促された。シリア人、本当にもてなしの心を持ったいい人間達なのである。
バスから降りると青年は、バブ・エル・ファラージはあっちだと僕を誘導してくれた。恐らく彼の行く先はこちらではなかったのかも知れないが、声をかけられた以上、最後まで責任を持つとでも言わんばかりに親切に案内してくれた。お陰様で無事目的地に到着。宿は満室が多いそうで、何軒か断られてしまったが、最終的に「ホテル・アルツ・レバノン」というレバノン杉が看板に描かれたホテルに落ち着くことになった。ホテル周辺は日用品の商店街となっていて、少しぶらついてみた。途中若者が行列を作っているアイスクリーム屋を見つけ、みんなが注文している特大アイスを食べながら気ままに散歩。いつしか電気製品の店ばかりが並ぶ電気街に迷い込んだ。するとその時、ある店のショーケースに僕の勤め先であるメーカー製のインバータやタイマーが陳列されているのに気付いてびっくり。ついテンションが高くなった僕、商売っ気なんてかけらも無いにもかかわらず、「いつもお買い上げありがとうございます!」なんて言って扉を開けてしまった。中には従業員が四人程おり、ほとんど英語はわからないようだったが、お茶を出して歓迎してくれた。言葉が通じないのもさることながら、中東担当でもない僕が今ここで何か仕事ができるわけでもない。しばらく互いに笑顔を見せ合い、それじゃぁ、またね、と言って別れた。自分の職業なんてすっかり忘れてしまうぐらい遥か遠きシリアの商店街で、自分と関わりのある製品を売っている代理店に遭遇してしまうなんて偶然もいい所だ。営業熱心な社員では決してないのだが、これからもどんどん売って下さいね、なんて心から応援したくなった。
そんなこんなでここバブ・エル・ファラージで一晩が過ぎた。朝9時、世界遺産アレッポ城を見に宿を出発。アラブの朝は遅いのか、スークはほとんどシャッターが閉まっており、いまいち方向がつかみにくい。人通りも少なかったが、途中アラブ服を着たおっさんを見つけて城のある方向を聞くと、「あんたイラン人か?」と聞かれた。外見は大分違うと思うけど、多分イラン人巡礼者が多いから、地元民は「外国人=イラン人」と認識しているのかも知れない。
とりあえずおっさんの教えてもらった方向に向かって歩き、いかにも中東風の砂色の壁をスイスイっとくぐり抜けると、いきなり視界一杯に現れた超巨大な建造物…。建造物、と言うべきだろうか。堀に囲まれた別の町が現れたと言った方がしっくりきそうだ。昔「宇宙戦艦ヤマト」で、半球状の惑星の上部にビルが林立しているような形をした敵の基地があったような記憶があるが、正にあれに近い。堀に囲まれているのは巨大な植木鉢のような城壁。全体像はカメラに収まらない。入口の部分だけで精一杯だ。門をくぐる団体の入場者はここから見るとアリンコのよう。城入口前にあるオープンカフェで濃いアラビアコーヒーを一、二杯飲んでしばらくこの圧倒的なスケールを眺めた後、その巨大な入口へと足を踏み入れた。
高さだけで10メートルはありそうな巨大鉄城門の入口をくぐると、ただただ広い、真っ暗な無の空間がしばらく続く。きっと敵に万一侵入された時、あらゆる窓や通気口を遮断できるようにしたのだろう。更に前へ進むと、いきなりまばゆい光。そこには石で作られた中世の町がそのままの姿で残され、石畳の道が幾多の方向にも伸びていた。日本で城と言えば大名が住む宮殿のような建物、つまり西洋の「パレス」や「キャッスル」に該当するのだろうが、中国語で町のことは「城市」と言う。基本的に城の城壁の内側に町があったためであり、庶民の住む家も公共施設も全て城の一部であったのである。アラブの感覚で言う城はきっと中国の城の概念に近いのかも。
城の中にある町跡を一つ一つ見て回る。小さな家の小部屋を見つけて中に入ってみると、薄暗いその部屋は非常に奥行きがある。一番奥には降りる階段があり、赤い裸電球だけが灯った地下のフロアへと続いていた。さらにその下もはしごで降りることができるようになっていたが、そこから先は真っ暗で何も見えない。地下フロアの電球の光が届くギリギリの場所まで降りてみると、どこまで続いているのかわからない闇が辺り一面に広がっていた。あまりに広く、あまりに暗いので一歩踏み出す勇気が出てこない。仮に一メートル先にマンホールの穴が空いていたとしたって、それを確認するすべも無いのだ。ここは一体何なのだろう。篭城に備えての食料庫か武器庫だったのか。いざと言う時の脱出トンネルなのか。そこへふと、一組の中年の男女が何とガスライターの火だけを手に僕の横を通り過ぎ、そのまま闇の奥へと消えて行った。ちょっとあなた方、どこ行くの? えっ、 想像にお任せ? いや、別に想像なんかしたくないよ。
なんてことはさておき、再び日差しの強い町跡に出る。円形劇場跡にはフランスやドイツの観光客、そして社会科見学の子供達。ヒマをもてあます地元の兄ちゃんもなぜか多い。誰も上がれないような高台の上でしゃがんでいる彼等、僕に向かって「お~い、写真撮ってくれー」とせがむ。見晴らしはどんな感じだろうと、僕も高台に上がり、連中の後について一緒にしばらく城の中をたむろする。ちょうど小学生の子供が冒険ごっこと称して人家の塀の上を歩いたり、飛び降りたりして、ちょっとした勇気を競うみたいに、連中も高台から高台へと飛び降りたり昇ったりと忙しそう。彼等の目線の先に映るは、地元の美女達。彼女等が近くを通り過ぎるとわざわざ高い所からさっそうと飛び降りてみせたり、高い所からヒュ~ウと口笛吹いたり、即興で歌を作って歌ったりして、懸命に注意を引こうとしている。もっとも彼女達はそのまま素通りして行ってしまうのだが。どこの国にもいるよな。こんな感じの憎めない兄ちゃん達。がんばれよ!
彼等と別れて城を出た僕、そのままフラフラ歩いていくだけで気が付けばそこはスーク。
「♪市場へ行く人の波に体をあずけ、石畳の街角をゆらゆらと彷徨う。祈りの声、ひづめの音、歌うようなざわめき…♪」。昔聞いた「異邦人」という歌の歌詞そのものの世界が正に目の前にある。あの歌を作った人は恐らく今僕がいるこの場所でアイディアが浮かんだのではないか? シルクロードの時代からそのまま使われている石畳のスーク。網の目のように細い道が四方八方に広がり、衣類やら、日用品やら、お菓子やらの店が所狭しと並ぶ。大きな荷を運ぶロバ、そして駆け足でリヤカーを引っ張る男がすれ違い、更にその間をすり抜けるように子供がパタパタと草履の音を立ててどこかへ走り去る。こんな狭い道を軽トラが器用に進んだり、停まったり、バックしたり。バックする時は決まって「ランバダ」の電子音が鳴り響く。何も考えずにこの中世アラビアさながらの空間を何時間も流浪する。香辛料と、砂埃と、濃いコーヒーの香りに包まれながら。途中アレッポ名産の「オリーブ油石鹸」をいくつか購入。
「ムシュー、ここは工場直送だから安いんだ。キロ100ポンドでどうだ?」
店のおやじが言う真横で、「いえいえ、あそこにあるのは90ポンドよ」と親切に秘密をバラしてくれる地元の主婦。おいおい、それを言っちゃおしまいよ、とバツの悪そうな顔するおやじ。市場の外へ出るとうだるような暑さ。乾燥してるからスークのアーケードでは何も感じなかった。おっと、野外コーヒー屋を発見。店のおやじが腰掛けている隣の椅子に座り、小さなカップのコーヒーを一杯。
「おお、日本人か。うちの息子をいつか日本に行かせれば、空手できるようになるかな? ブルース・リーみたいになれるかな?」
おっさん、ブルース・リーは日本人じゃないんだよ。中東に来てから何度も説明してるじゃん。もっともあんたには初めてだけど。
「何?! そうだったのか!! それは知らなかったぁ~!」
そんな会話を交わし、僕は日差しを避けるべく狭い路地の方に向かった。
アッラ~フ、アクバ~ル! アザーンの声が大音量で鳴り響く。今日は何時間もスークを彷徨っていたので、この声を何度となく聞いた。グランド・モスク。こんな小さな路地ではあるが、ここには何とアレッポ最大のモスクがある。ダマスのウマイヤド・モスクと同様四方の回廊に囲まれたタイルでツルツルの中庭。子供達が駆けっこや鬼ごっこなどしてはしゃぎ回っている。そんな姿を遠目で見守る女性や老人達は回廊の方で車座になり、お弁当なんか広げてすっかりピクニック気分。モスクって、本当に庶民の憩いの場を提供してるんだな、そう思いながら礼拝堂の中へと入って行く。中はやはり厚手のジュウタンが敷き詰められ、そこには祈っている者、黙々とコーランを読みふけっている者、柱にもたれかかって一休みしている者、子供を柱に立たせて携帯カメラで撮影している者。僕は隅っこに腰をかけてそんな光景をしばらく眺めていた。まずは子供が興味を持ってハローなどと声をかけてくる。同じ女の子が何度も僕の前を横切って同じ挨拶を繰り返す。すると今度は子供の親が現れ、うちの子構ってくれてすいませんねぇ、と言わんばかりにニコニコして挨拶してくれる。更には行き過ぎる人々が会釈をしてくる。彼等の会釈は日本のように頭を軽く下げるのではなく、右手を胸の上に添えるように置くポーズである。そしてやがて握手の手を差し出してくる人や近くに座っていろいろ話しかけてくる人も現れる。もっともみんなアラビア語しかわからないようで、僕日本人~。名前はLing Mu~。アラビア語少し~。モスレムじゃないよ~。アレッポ城よかった~。明日はダマス~…ぐらいのコミュニケーションしかできないのがちょっと残念ではあったけど。彼等自身はイスラムを平和と寛容の宗教と言っているが、彼等はそれを口先だけではなく、文字通り態度や雰囲気で完全に実行しているということ。モスクに来てそれだけは十分伝わったような気がした。
大勢の男達が急ぎ足で棺桶を運んで来た。どうやら葬儀が始まるようだ。僕はモスクから出てバブ・エル・ファラージへ戻ることにした。アレッポ城までの道はそんなに複雑じゃなかったはずだが、元々方向音痴の僕、早速道に迷ってしまった。でも全然怖くはない。目的地を探しながらフラフラしていると、いろんな所で新しい発見ができる。例えば街角にゴミ箱が多いこと。そう言えば日本では地下鉄サリン事件以降、テロ防止とか言って街中でゴミ箱をすっかり見かけなくなったな。アメリカからテロ支援国家と呼ばれているシリアにはこんなにゴミ箱があるのに。頭上から突然「ハロー」と声がかかる。えっ? と、上を向くと、屋根の上で看板に着色しているペンキ屋が手を振っていた。あんな高い所からでも外国人だってわかるんだな~。なんて、迷子になってる一秒一秒を楽しみながら歩く自分。まぁ、暑かったけどね。本当に困ったら誰かに聞けばいい、という安心感もあるのかも知れない。大抵みんな親切に教えてくれるから。英語が通じないのに、何となく通じてしまうから不思議! いや、中には教えてくれない人もいる。つまり口で教えるのではなく、その場所まで僕を連れて行ってくれるもっと優しい人のことだ。こんなに人々が美しい国、今時あるだろうか。
夜、キリスト教徒街へ行こうとした。この地区のキリスト教徒の多くは少数民族のアルメニア人である。以前少しだけアルメニア語を習っていた僕は、何となく使ってみたくなったのだ。実際アルメニア本国に行った時は少しだけだけど役に立っている。街灯も少ない石畳の小道をフラフラしたが、商店も教会もクローズしてしまったからか、それらしき人々や建物は見つけられなかった。仕方無く元来た道を戻る。途中小さな椅子に座ったオッサンの一団が「ハロー! ヤバーニー(日本人)」と声をかけてきた。
「ブッシュはクソ食らえだけど、ヤバーニーはウェルカムだ!」
簡単な英単語で口々にそう言っている彼等。ホントはそのブッシュに媚びへつらう今の日本の外交を知ったら彼等はどう思うのかな…。
歩き続けてやつれたか、ふと路肩の車に映る自分の顔の輪郭の線がはっきりしてきたような気がして、一瞬現地人のように見えなくもなかった。暗がりだし、ややうつむき加減に歩けば現地人として溶け込めるかな。そう思って歩いてみたが、すぐに「シーニー(中国人)」とか「コンニチハー」なんて声がどこからか飛んだ。やっぱりここではちょっと振り向かれる「異邦人」になってしまうんだなぁ。