第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




六日目: 無人の町での出来事

 

 オールド・マスカットの門

  そんなこんなで、やがてオールド・マスカットの門が見えてきた。途中海や噴水で道草食いながら来たので約二時間でやっと到着! 先日のドバイに続いて二度目の灼熱地獄歩きが終わった。門で少し休憩して街中に入ると、立ち並ぶのはエキゾチックな白い王宮に、白いモスク。相変わらずその回りは岩山に囲まれ、そのてっぺんにはやはり砦。そしてこれらを取り囲むように周辺には真っ白い家が整然と並んでいた。あぁ~、暑いよぉ。足が棒になったよぉ。マメがいっぱいできたよぉ。のどが渇いたよぉ、と独り言をブツブツ言いながら辺りを見回す。しかし・・・。

 

人がどこにもいないんですけど・・・。

 

たまに車が通るけど歩いている人は皆無。今までいたマトラ地区ではあちこちにスークがあり、人々でごった返していたのに、ここは一体何だ?! まるで映画のセットのような町。とりあえず近くにあったステンドグラスの美しいモスクに入ってみることにした。モスクの中って静かで、涼しくて、意外と雰囲気がいい。それに中に入る時は手と顔を洗ってお清めするので、とりあえず冷たい水をかぶれる。僕は入口前で靴を脱ぎ、蛇口をひねって顔と手を洗い、そして中に入った。

 広い空間に敷き詰められたアラビア絨毯。ヒンヤリと冷房のかかった礼拝堂。お祈りタイムでないためか照明はほとんど無く薄暗いものの、外の日光がステンドグラスの窓を通して、内部を青や黄色に照らす幻想的な空間。所々で青い作業服を着た男が数人、体を折り曲げて思い思いに祈りを捧げていた。見た感じパキスタン人の労働者のようだった。僕は隅っこであぐらをかいてその様子を眺めながら休憩としゃれこんでいた。

 しばらくすると、白い服に白いターバンを巻いた初老の男が現れ、礼拝堂の真ん中に立つと、部屋いっぱいに響き渡る、低く朗々とした声でコーランを朗誦し始めた。この人物はモスクのイマーム(導師)なのかも知れない。すると次の瞬間、いろんな場所でバラバラに祈っていた男達が一斉にイマームの後ろに一列に並び、コーランの朗誦に合わせて息をピッタリ合わせて礼拝を始めた。このイマームの声には確かに人を引き込む磁石のような引力があり、思わず僕まで一緒に礼拝に加わろうと思ってしまったほどだった。ま、ホントにやったら立居振舞いを知らない僕などすぐにニセイスラム教徒だとバレるし、そんなことになったら彼等にも失礼だからとりあえず何もせず座っていたが。

 どうにか体力も回復してきたのでそろそろ出ようかな、と思ったその時だった。こんにちは、ようこそいらっしゃいました。礼拝堂の出入口で一人の青い作業服の男が英語で挨拶してきた。中で祈っているパキスタン人労働者の仲間であろう。以前シリアに行った時も、モスクの中にいると時々挨拶してくれる人がいたので、僕も自然な感じで彼に挨拶を返した。

 「どうぞこちらへ。」

男は僕をモスクに隣接する事務所のような所へ案内してくれた。なるほど、この人達はモスクの職員なんだな。お茶でも一杯頂けるんだろうか。ラッキー♪ と思ってついて行った。

 

 どうぞ、と通された部屋は、何とも殺風景な所であった。低い大きなテーブルが一つあり、その周りはロッカーのようだ。ここは更衣室? 彼は適当に座って下さい、と促した。僕はその低いテーブルのような所に腰をかけたが、次の瞬間、男は言った。

 「ボディマッサージ、しませんか?」

はぁ? 何でモスクに来てマッサージ?すいません、この部屋は一体何なんですか? 僕は聞いた。ボディマッサージをする所ですよ、彼は答える。いや、結構です、と即答える僕。いいじゃないですか、ボディマッサージ、しませんか? と言って片手で僕の肩を揉んでくる男。何か顔がニヤけている・・・。おい、ちょっと!何なの、この男?!

 いえ、結構っ、結構ですっ! 幸い部屋のドアは少し開いていたので、扉をバーンと押してすぐさま外に出た僕、一目散に逃げ出したのだった。

 

 フー、やれやれ。なんだかワケがわからなくなってきた。自分が何でここにいるのかもよくわからない。一体この町は何なんだ?! 誰もいない静かな白い住宅街をトボトボ歩いていくが、まだ頭の中が整理できずにいた。

 しかしまたどれも立派なお住まいだなぁ~。オマーン人達はこんな一戸建て住宅を政府から格安で支給されて、冷房の効いた室内で悠々自適に暮らしているのかなぁ。それにしても、一人ぐらい家から出て来ないものかな~。

 その時僕はこの閑静な住宅地のある曲がり角を曲がった。するとそこにいきなりオマーン人の一団がいるではないか。何と家の前の道路にゴザを敷き、そこにみんな腰を下ろして何やら食べている様子だった。黒いベールで髪を覆ったおばあさんを中心に、白い服に帽子をかぶった男達があぐらをかいて座り、所々に子供もいる。この人達、家の前でピクニック?

 「おう、あんたも座っていけよ!」

この時ゴザに座っていた男から声がかかった。

 ああ、どうも。やっと人に会えたので、しかも外国人労働者ではなくオマーン人から声をかけられたので、つい嬉しくて腰を下ろしてみた。

 「何が欲しい? オマーンのスープでも飲んでみるか?」

どうやらゴザの真ん中に座るおばあさんが何か調理をしているようだった。僕は男達の言うがままにスープでいい、と答えた。おばあさんは袋に入った粉をお椀の中に入れ、すりこぎで少しシャカシャカとかき回すと、水の入った小さな鍋にヒヨコマメを入れてバーナーで煮始めた。僕はだんだん状況がつかめてきた。つまりここは屋台だ。多分このばあさんは定期的に住宅街に現れ、その度に地元住民達が集まってはこうして軽食をつまみながら夕暮れの一時を過ごすのだろう。ばあさんの脇には大きな箱があり、中にはお菓子や飲み物が沢山詰め込まれている。子供達が恐らく親から手渡されたのであろう小銭でお菓子を手にしながら大喜びの様子。駄菓子屋っぽい行商も兼ねているようだ。「玉手箱のおばあちゃん」。子供達からはそう呼ばれて親しまれているのかな、と想像までできてしまう。

 

 アジアならどこでも見かける光景が、アラビア半島ではなぜか見られない。そう感じながらもそれが一体何なのかうまく言えなかったのだが、今わかった。それは屋台のある風景。確かに気温40度近い中、路上で屋台を出すなんて不可能である。しかしこの町でやっとその風景に出会うことができた。老いも若きもワイワイおしゃべりしながらご当地の軽食をつまむ。これぞアジアですよ! きっと昔は日も暮れればいろんな所に屋台が現れ、このような光景が至る所で見られたのだろうが、石油で豊かになり、人々が皆高級住宅に篭るようになってからは段々廃れていってしまったのだろう。オマーンで見た最初で最後の屋台。写真をぜひ撮りたかったが、おばあさんとて女性。この国では女性の撮影はNGなので断られた。だが手渡されたお茶碗一杯のスープはシンプルながらも味わい深いものであった。日本のお吸い物のように、薄味だけど口当たりがよくて疲れが取れたような気がした。ごちそうさま、いくら? と聞くと、周囲の男達がいやいや、いいんだよ、オレ達がまとめて払っておいたから、と、何とご馳走になってしまった。ショクラン、アラビア語で一言感謝を述べて僕はこの場を後にした。「アフワン(どういたしまして)」。ばあさんは調理の手を休めずに、ただ笑顔で見送ってくれた。

 

 気を取り直した僕は近くにあったベイト・アル・ズベールという博物館を見学。見終わって外に出るとちょうどルートタクシーがいた。あれがブスタン行きならブスタンへ。ルウィに帰るのなら帰ろう。車に駆け寄って行く先を聞いてみると、ルウィ方面行きだったので、早速これに乗り込み、ルウィへのホテルへと戻ったのだった。あれだけ苦労して長時間歩いた湾岸道路。車だとたった15分ちょっとの距離だったんだなぁ。