第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




八日目: 地獄へようこそ
 

 

翌朝、ほとんど寝付けなかった僕は頭がボーっとしていた。とりあえず強い日差しでタンクがすっかり加熱されたシャワーを浴びて目を覚まし、荷物をまとめてチェックアウト。空港に行くため、バスターミナル近くで客待ちしているタクシーをつかまえた。

 「空港までいくら?」

 「4リアル(1200円)だよ。」

オマーン人の運転手は言った。ガイドブックでは約5リアルと書いてあるから、割かし良心的な値段かも。早速車に乗り込むと、運転手のおやじはグチるように言った。

 「くっそー、サウジ人め(ゴホッ)。あんたが来るちょっと前、サウジの奴らが乗ろうとした。こっちは通常の運賃を言ってるってのに、奴ら三分の一に値切ろうとして譲らないんだ(ゴホッ、ゴホッ)。オマーンの物価を全く理解しないで、ただ安く抑えようとしてばっかいやがる。あまりにバカにしてるんで、こっちから断ってやった(ゴホッ)。」

 「おっさん、大丈夫? 咳き込んでるみたいだけど。」

 「(ゴホッ、ゴホッ)ああ、年中こうして運転してるだろ? 空調かけっぱなしだから、いつもホコリを吸っちまってるんだよ。」

 「大変だね。」

 「ああ、この韓国車もガタきてるな。そろそろ日本車に取り替えたいもんだよ(ゴホッ)。」

 「そういや、街中見ても日本車が多いみたいだね。」

 「そうよ(ゴホッ)。さぞかし日本は金持ちなんじゃないか?」

 「物価も高いから、金持ちって感じはしないね。オマーンは石油があるからリッチじゃないの?」

 「いや、リッチでもプアーでもない。ミドルだよ。」

 「ミドルがいいね。」

 「そう。ミドルで平和が一番。イスラムの国は平和だろ? ひどいのはイスラエルにやられてるパレスチナだけだ。ニュース聞くだけでも胸が痛む。」

おしゃべりしてるうちに、タクシーはやがてシーブ空港へと近づいてきた。

 「これからどこへ行くんだ? 日本へ帰るのか?」

 「まずはドバイを経由する。」

 「それからどこへ行く?」

 「クウェートだ。」

 「そうか。クウェートまではいいが、イラクは行くなよ。毎日人が死んでいる。」

 「もちろん行かないよ。」

 「あ、それからサウジも行くなよ。奴らカネにがめついからな(ゴホッゴホッ)。」

 

 質素で小さなシーブ空港を立つと、あっという間に豪華絢爛なドバイ空港到着。空港に着くや早速免税店に繰り出し、アラブ各国のCD、「外国のパスポートの図柄がデザインされたパスポートカバー」なる冗談グッズ、ちょっとオシャレなペルシャ絨毯図柄のコースター、更には職場へのお土産のナツメヤシチョコを購入。白装束のアラブ服を着た男が表紙を飾るアイドル雑誌を立ち読みし、ついでにレシートでウン百万ドルもしくは高級車が当たるという抽選などにエントリー。そうこうしているうちに時間となり、更に飛行機に乗ること約一時間ちょっと。いよいよ最後の訪問国クウェートに到着した。

 

 この国では、空港で入国ビザを取得するのだが、他の湾岸の国と違ってやや面倒なところがあった。四つの窓口から成るビザカウンターにはそれぞれ行列ができていた。僕は無作為にそのうち一つの列に並び、のほほんと順番を待っていると、何となく周囲から白い目線が突き刺さっているのに気付いた。よ~く見てみると、まるで銀行や郵便局のように番号札制になっており、各窓口には応対中の人の番号が電光表示されていた。僕も一枚番号札を取ってみたところ、今窓口で対応しているのは何と僕の持つ番号よりも30番ほど前の人であった。つまり、ここで列を作っていたのは表示されてる番号に比較的近い人達。まだ番号が遠い人々は皆、周囲のソファーで黙々と順番を待っていたのである。僕はまだこの列に並ぶ段階ではなかったのか。こりゃまた失礼しました、そそくさと隅っこのソファに腰をかけ、いつくるのかもわからない窓口に並ぶその時をひたすら待つしか無かった。

 

 しばらく待っているうちに、どうも不安になってきた。飛行機から降りたばかりの僕はパスポートしか持っていない。普通ビザ申請には何かの書類に記入する必要があるはずだ。以前見た何かのHPでは、事前に印紙を買うとか聞いたことがある。しかしやり方が全くわからない。このまま長い時間をかけて並んだはいいが、いざ窓口を前にして書類不備とか言われ、また最後尾に回される恐れは無いだろうか・・・? その時、何人かの欧米人が片隅の自販機で印紙を買っているのを見た。ああ、やはり印紙を事前に買うんだな。僕はそう思って自販機の所に行った。一人分のビザは3ディナール(約1300円)と書いてあったので、早速購入し、もうしばらく待った。

 

 一時間ほど過ぎたであろうか。そろそろ列に並んでもいい順番だろうと思い、列の方に移動した。そしてしばらく並んでいるうちにやがて僕の番が回ってきた。

 「ミスター・Ling Mu。これは何だ?」

審査官は印紙を受け取り、僕のパスポートを開き、真ん中の分厚いページを開いて言った。

 「電子データだよ。新しいパスポートにはみんな付いてるんだ。」

 「そうか、ミスター・Ling Mu。クウェートへようこそ。」

審査官は珍しく途中で雑談をはさんだりする、感じのいい男だった。少なくともこの時点では。

 「いろいろアジアに行ってるんだな。やっぱアジアはいいな。オレは中国とタイに行ったことがある。女もきれいだ。」

 「クウェートの女の子もきれいなんじゃないの?」

なんて、僕も受け答えたが、この時審査官はおもむろに言った。

 「じゃ、手数料3ディナール出して。」

窓口の横にはビザ代に関する金額が記されていたのだが、何とビザ代はそれぞれの国によって異なっていた。ちなみに日本人は3ディナールであった。僕は既に3ディナール分の印紙を渡しているのだが、それは返してくれるのだろうか。僕は「印紙」を英語で何と言うのか知らなかったが、さっき渡したアレは? と、聞いてみたが、それはちょっと待ってろ、とりあえずビザ代は現金で3ディナールだと言うので、僕は現金の3ディナールを渡した。

 「では、これがパスポート、そしてビザだ。」

パスポートには入国スタンプが押され、そこに挟んであったA4の書類がビザであった。その後僕は領収書を受け取ったのだが、その金額は、やはり3ディナールとしか書かれていなかった。

 「すいません。今現金で3ディナール渡したけど、その前にも3ディナール出してますよね? 合計6ディナールじゃないの?」

 「いや、3ディナールでいいんだよ。」

審査官は涼しい顔で言う。

 「でも3ディナールを事前に渡してるんだよ。」

 「うん。それはちゃんと受け取っている。」

 「それで領収書に3ディナールは無いだろ。ちゃんと6ディナールって書くか、さっきの3ディナールは返してくれよ。」

 「どうして返すんだ? ビザ代は3ディナールだ。だから領収書に3ディナールと書いたまでだ。」

 「なら、その前の3ディナールは何なんだよ?!」

 「それは手数料だ。現在日本人は免除になっているが、本来の金額なら手数料が発生する。」

 「何なんだよっ。その手数料ってのは?! 日本人が免除になってるのなら返せよ!」

 「だがあなたは印紙にして渡してきたのでもう手続きしてしまった。こちらは印紙を渡せなんて始めから言っていない。」

隣の窓口の審査官も参戦してきた。

 「いいか、本来日本人のビザ代は6ディナールなんだ。うち3ディナールは免除されているが、あなたはもう出してしまった。でも本来は6ディナールなんだ。」

 「それなら、なんで6ディナールって領収書に書かないんだよっ!! 3ディナールはどこへ行くんだよ!」

いくらもめても平行線であった。

 

 そうこうしてるうちに両側の窓口で手続中だった欧米人が話しかけてきた。

 「あなたは一体、いくら払ったんだい?」

 「6ディナールだ。なのに領収書には3ディナールとしか書かないんだ。」

僕は彼等も一緒におかしいと感じてくれると思っていた。しかし次の瞬間、欧米人はハッハッハ、と笑い出した。

 「何も問題無いんだよ。6ディナールでいいんだよ。全く、何を騒いでるのかと思えば。ククク。」

反対側を向くと、もう一方の窓口の欧米人も僕を見て、バカにしてるかのように笑いをこらえていた。なんてことだ? こんなバツの悪い思いをしてるというのに、僕が間違ってるのか?! なんだか、僕自身というより、日本人が笑われているような気がした。テルアビブ空港で乱射事件を起こした日本赤軍ではないが、銃がもしあったら大暴れしてやりたい気分に一瞬なった。審査官は3ディナールの領収書しか渡さないくせに、相変わらず6ディナールでいいんだ、ノー・プレブレムだ、などとぬかし続けている。もういい、こんな不愉快な入国審査は初めてだ。僕は足早にこの場を去った。

 

 やれやれ、入国にこんな時間がかかるとは思わなかった。荷物受取のターンテーブルはとっくに終了しており、隅っこに集積された身元不明の荷物の中に僕の荷物も紛れ込んでいた。さっさとそれを担いでゲートを出る。予約していたオアシス・ホテルの出迎えはいるかな。。。あちこち探したが、それらしき者は見つからなかった。出て来るのが遅くて帰ってしまったってことか。電話しようにもここの公衆電話は全てカード式。そしてカードはこの辺では売られていない。

 一人立ち尽くしていた。実は去年、驚くほど似たようなシチュエーションに直面したことがあった。それはカタールのドーハ空港に到着した時。そこは正に地獄かと思った。しかしカタールにはアリさんという現地の知人がいたため、最終的には地獄から一気に天国へと引っ張り上げてもらった。しかし知人のいないここクウェートではどうにもならないのか。アリさんと出会えたのは単にラッキーだっただけ。本来であれば通らなくてはならない地獄への入口にまた来てしまったのか・・・?

 そう思った時、僕は何だかヤケになってきた。と、言うか、こんな状況を鼻で笑うもう一人の自分がいた。おう、地獄上等! 誰にも頼らん。行ってみようじゃないか。そんな気分がふつふつ沸いてきた。

 まずはホテルまでタクシーで行こう。何せビザ代を二倍もふんだくられたもんだから、オマーンで換金していたクウェート・ディナールがもう手元に無い。僕は日本円を交換すべく空港内の銀行に並んだ。しかしこれがまたルーズ。全くこの窓口は外貨換金の他に、住宅ローンや投資信託の相談でもやってるのだろうか。並び始めてもう20分が経つというのに、当初先頭だったヤツの受付が未だに終わらない。たまりかねた僕は二階に上がり、もう一つの銀行を見つけた。こちらは並んではいなかったものの、外貨を受け取る場所と換金してクウェートの金を受け取る場所が離れており、やはり時間がかかった。

 

 何とかクウェート・ディナールを手にして空港建屋の外に出ると、そこはうだるような暑さ。ドバイやオマーンより一回り高い気温だ。日が暮れているにもかかわらず、車や手すりに触れるとアッチ~っ! とりあえずタクシーに乗り込んだ。意外にも空港で待つ運転手達は白装束を身にまとったクウェート人であった。クウェート人でもタクシーを運転して生計立ててる人がいるんだ。確かバーレーンでもそうだったな。この両国には政府からあまり優遇されていないシーア派住民がいるとも聞く。つまり低所得層の国民がいるのだろう。ちなみにカタールやドバイにはこの傾向はほとんど無く、現地人は皆リッチそうであった。

 

 かくして夜9時過ぎ。やっとホテルへとたどり着いた。地獄への第一歩が始まろうとしている。。。 とは言うものの、腹が減っては戦もできないわけで、とりあえずホテルの外に出てどこか食堂を探すことにした。しかし外に出るとビックリ。うだるような暑さなんてものではない。体中を圧迫するような、モワッとした暑い暑い大気。どこか近くに空調の外付機械があって、そこから熱風が吹き出ているのではと、一瞬機械を探してしまうほどであった。

 地下ロータリーを抜けてすぐに見つけた建物の中へ逃げ込むように入ると、そこにネパール料理店が一軒あったので、とりあえず冷房につられて中に入った。ここで注文したスパイシーなチャーハンが最高に美味かった。僕の地元吉祥寺で行きつけのネパール料理店で出している辛味のある焼きそば「チョウミン」の味をそのままに、麺をライスにしたような感じの料理だった。行きつけの店のメニューには無いのだが、日本に帰ったらちょっと頼んで作ってもらおう。

 

 食後ちょっと建物近辺を散策してみた。多くの建物は外から見るだけでは何だかよくわからない。試しに一軒の建物の中に入ってみると、ずっと奥まで衣料品等いろんなお店がびっしりと入っている屋内スークだった。確かに他の湾岸諸国同様、外国人労働者も多いのだが、意外だったのはクウェート人の姿もかなり見かけること。特にこの時間帯、どこもかしこも白服男と黒服女で賑わい、正にクウェート人の天下だった。単純に歩いている人が多いだけでなく、ドバイやオマーンに比べて街の看板の表記にアラビア語オンリーのものが目立つところにも現地人率の高さを感じた。カフェに腰掛ける男達は中毒なんじゃないかと思うほど、片手には必ずシーシャのパイプが握られていた。僕も少しシーシャをやりたかったが、今晩はもう疲れたし暑いのでホテルに戻ることにした。