第十五回 「彷徨うは摩天楼の砂漠」
          
(UAE・オマーン・クウェート編)

UAE

Oman

Kuwait


UAE旅の期間:2007年8月11日~8月13日 3日間

訪問地:ドバイ、シャルジャ

 

オマーン旅の期間:2007年8月14日~8月16日 3日間

訪問地:マスカット、ミントリブ、ワディ・バニ・ハリド

 

クウェート旅の期間:2007年8月17日~8月18日 2日間

訪問地:クウェート




二日目: 混沌の世界へ到着

 

ANAの機内で立川志の輔の落語を聴いて、笑うのをこらえているうちに無事香港に到着した。今晩の宿はアジア好きの集まりでお馴染みの仲間から紹介してもらった「ゴダイゴ・ゲストハウス」という日本人経営の安宿。一泊150香港ドルという安さと、夜12時以降もチェックイン可能という良心的な対応で選んだ。イートン・ホテルの近くということで空港から路線バスで行くルートと、エアポート・エクスプレスという電車で九竜駅まで行き、そこからタクシーで行くルートがある。僕はその時、後者のルートは少しお金がかかるけど、絶対早く行けると信じていた。夜11時30分。九竜駅に着いてタクシー乗り場に並ぼうとした所、何と50人以上の人々が列を作っていたのだ。無料シャトルバスが終わってしまっていたことは知っていたが、それにしても何でこんな長蛇の列になってるの?! タクシーは10分に一台ぐらいしか来なかった。しかもほとんどの場合タクシーに乗る乗客は一人ずつなので、列は全然前に進まない。前に並ぶ韓国人カップルはそんなのお構い無しにイチャイチャ二人だけの世界に入っている。その前に並ぶ香港人の女は何時間もぶっ続けで携帯でしゃべり続けている。後ろに並ぶ欧米人達は絶望に近い顔で遠くを見つめている。今回の旅先はこの時期、降水量ほとんど0%の地域。まさか経由地の香港で台風が直撃していたなんて。タクシーが来ないわけである。うかつだった。

 

 「絶望の行列」に並び始めて一時間半が過ぎた。ゴダイゴ・ゲストハウスだって12時過ぎてもチェックインできますよ、と言ってはくれたものの、今時計は既に1時を回っている。ホント泊めてもらえるのかな。1時10分、何とか列が少しずつ動き出し、やがて僕の番も回ってきて、やっとこさタクシーにありつくことができた。速攻でゲストハウスのあるビルに向かい、とりあえずチェックイン。もう2時を過ぎているので、カオ君達現地の友人に連絡はできない。まずは雨にズブ濡れになりながら近くのセブンイレブンまで行って夜食を買い、さっさと就寝することにした。やれやれ、って感じ。だが旅はまだスタートすらしていない・・・。

 

 香港の安宿に朝が来たようだ。来たようだ、と自信が無いのは、部屋に窓が無く真っ暗なので、目覚ましでしか確認できないからである。共用のシャワーを浴びて荷物の整理をしていると、カオ夫婦が何と宿まで迎えに来てくれた。こんな雑居ビルの一室であり、日本語(しかもカタカナ)の看板しか無いってのによくわかったね!! アジア好きの集まりの仲間で、広東省在住の女性も来てくれた。四人で近場のヤムチャのお店に行って、美味しい広東料理をご馳走になった。あまりの美味しさにすっかりフライトチケットを立て替えてもらっていたことを忘れてしまい、店を出てから慌てて代金を支払う。人が行き交うバス停近くの路上で大金の受け渡しなんて、まるでブラックマーケットさながらの大技を使ってしまった。ホントにこの先大丈夫かぁ?! と、頭を叩かれながら彼等に見送られ、空港へと向かう僕だった。

 

 空港の出発ロビー。フィリピン人と思われる東南アジア系の人々でいっぱい。そんな中でしばらく座っていると、チラホラと日本人旅行者がいることに気付く。いずれも二、三人のグループで、ちょっとおしゃれな身なりの若い女性達。目のやり場に困るイチャイチャカップルも数組目に付く。高級ホテルでビーチや、スパや、エステを楽しみに行くのかな。同じ国の人間とは言え、仮に話しかけてもきっとお互い理解し合えないほど別世界の人間同士、そんな感じがした。

 やがて飛行機は離陸。12時間のフライトが始まった。最初の頃は映画「300」を見たり、日本から持参した雑誌を読んだり、書き物をしたり、機内食を食べたり、眠ったりしてそれなりに退屈せずに過ごした。何せ横に長いアジアである。十時間前後のフライトは何だかんだで六回目。長い機内での過ごし方は一応心得ているつもりだった。しかし、問題は夜であった。遥か上空で夜、と言っていいのかどうかわからないが、長いフライトでは必ず、機内の窓が閉められ、電灯が消される「夜の時間」がある。その時間は皆座席をリクライニングして、毛布をかぶって寝る。スチュワーデスもその時間帯はほとんど通路に現れない。そのまま眠ってしまえばいいわけであるが、「昼間」にずいぶん寝てしまった僕はあまりよく寝付けなかった。少しウトウトしてきた頃、突然便意を催して目が覚める。だが僕の席は窓側。通路側に座る人はリクライニングを倒して熟睡中。前の座席も相当な角度でリクライニングしてるので、席から立ち上がることすらできない。あきらめて我慢してるうちに自然と便意は薄れていき、また眠った。しかししばらくすると再び便意で目が覚めて。。。と、その繰り返しで後半のフライト、かなり辛かった。何だかよくわからないが、僕はこの症状を「エコノミー症候群」ならぬ「エコノミー便秘」と名付けたのである。長いフライトでは窓側座席は案外不便かもしれない。

 

 少し耳鳴りを覚えた。これは機体が低空飛行を始めた合図。僕は窓を開いて外を眺めた。真っ暗な闇の中に金や銀の宝石が散りばめられたように見える街。ついにやってきた。この街の名はドバイ。アラブ首長国連邦という国で最大の超国際都市である。元々アブダビ、ドバイ、シャルジャ、フジャイラ、アジマーン、ラス・アル・ハイマ、ウム・アル・カイワインの七つのアラブ人の王国が合併してできた連邦国家という意味。誤認され易いが、国名の冒頭にある「アラブ」というのはこの国の略称ではない。エジプトも、シリアも、イラクもみんなアラブである。とは言え日本から見るとなじみの薄い国であったためか「ソ連」のように歯切れのいい略称が特に無いまま今の時代を迎えたので、現在は英語の略称「UAE」がそのまま使用される場合が多い。ちなみに中国語では「阿拉伯聨合酋長国」と言い、「阿聯酋」という略称で呼ばれている。やはり自国語の略称があった方が呼び易そうだ。「オレの友達UAE人」、「UAE家庭料理を食べた」。。。何か言いにくいよね。

 一見全て同じように見える湾岸産油国だが、実は微妙に情勢は異なっている。そこで今回はいち早く石油後を考え、貿易と観光で全世界にアピールし始めたここドバイ、産油国でありながらあまり贅沢を好まず、伝統文化を比較的強く守っているオマーン、そして石油依存国家から脱却する気の無いクウェートの三カ国を周遊するつもり。この旅を終了すれば、僕の訪れたアジアの国はちょうど30カ国となり、やっとアジアの半分を訪ねたことになる。今回小さい国で数カ国分稼いで、早く30カ国を達成しちゃおうという気持ちも正直あった。ま、訪れた国の数なんてどうでもいいじゃん、と言われればそれでおしまいなんだけどね。ただ昔北京に留学していた頃、インド旅から戻った僕が、たまたま訪中していた日本人の客員教授と話していた時に、これまで13カ国を訪ねたので、いずれは全アジアを旅してみたい、とつい意気込んで言ってみた所、その教授、「アジアの国の数を考えると13カ国なんて全然大したコト無いね。30カ国訪ねたと言うのならスゴいけど」と言われて出鼻をくじかれた思い出がある。それ以来僕の中では、30カ国というのは途中ながらも一つの目標値となっていたのである。

 

 何はともあれ、現地時間20時半に空港に到着~。アジア中のあらゆる人々が入国審査の列に並ぶ。頭の輪っかと白装束の「石油王スタイル」をした男達、黒いベールで全身を隠した女性達は何となく優越感いっぱいに「GCC(湾岸協力機構)加盟国専用」カウンターに並ぶ。全身黒ずくめの女性はどうやって本人と識別されているのだろうか。いちいちベールを外している様子は見られないのだが。

 外の気温は38度。海に面してるためか意外と蒸し暑い。空港を出ると周りを歩く人々はほとんどインド人であった。ドバイ滞在中は最も手軽な宿泊施設である「ユース・ホステル」を予約していた。以前に湾岸諸国を旅したことのある大阪の旅仲間、園田さんが参考にとまとめてくれた旅情報集が非常に重宝した。その情報集によると、ユースまでは401番のバスでデイラ・ターミナルという所に行き、そこから31番のバスに乗り、「ルル・ショッピングセンター」で下車すればすぐだと書かれている。なぜバスかと言うと、それは物価の高い湾岸では最も経済的な交通手段であるため。それに現地のタクシー運転手はほとんど外国人労働者で、あまり観光にまつわる場所を知らない人が多いためである。

 

 401番のバス停は道行くインド人に教わってすぐに見つかった。そこまではよかったが、バス停にやって来るのはみんな違う番号のバスばかり。20分ほど待ったがやはり401番は現れないので、再度近くのインド人に聞いてみた。その男自身はやや無愛想であったが、いろいろ聞いているうちに数人のインド人が集まってきて、その中に非常に親切な男がいた。

 「ルル・ショッピングセンターならわかる。それなら401番じゃなくても、今停まってるあそこのバスだって、途中乗り換えるが行けるよ。私もあれに乗るから一緒に行こう。」

 そう言って先導してくれた。彼は南インドから来た少数民族タミール族出身で、今日はオフだとのことだが、ここドバイで六年間、タクシー運転手をやっているらしい。なのでこの辺りの地理にはかなり強いらしく、バスの切符の裏に地図を書いて熱心に教えてくれた。途中のある通りに差し掛かると、彼は言った。

 「ここで降りて、向かいの通りに渡るんだ。あそこに見えるバス停まで行って、13番のバスに乗りなさい。あとはルル・ショッピングセンターっていう大きな文字を見つけたら、そこで降りればいい。」 

いや~、感激、感激! 僕は彼に感謝し、さぁ、ユースまでもうすぐだ! と、ウキウキしながらバスを降りた。しかし・・・。

 

向かいのバス停の路線に、13番なんて無いじゃん!!

 

 どうして? あのおじさん、自信あり気に教えてくれたのに。。やって来るのは4番、8番、9番、18番。。。。その度にバス停で待っているインド人、パキスタン人、フィリピン人達が一斉にバスに駆け込む。しかしお目当てのバスは全然やって来やしない。いたたまれず、たまたまやってきたバスのタラップを踏み、ルルは何番のバスだ? と運転手に聞く。すると彼の口からは13番とは別の番号が出てきた。しかしその番号のバスもまた、やって来る気配が無いので、近くで待っている男に同じ質問をしてみると、これまた全然別の番号を教えてくれた。こりゃ、一体どーなってるの?!

 それにしても蒸し暑い。大きな荷物を背負ってこんな所に長い時間立っているので、体力が少しずつ消耗してきているのがわかる。初日でこれはまずい。とは言ってもお目当てのバスは依然現れない。そこへ一台のタクシーが出現。今だっ! と呼び止める。その瞬間進行方向の信号が青になり、前の車は一斉に走り出たが、このタクシーは律儀に僕を待ってくれた。そして幸いにもこの運転手、ルルはもちろんユースの場所もちゃんと知っていた。もうこのタクシーに頼るしかない! 何せ初めての国だ。初日からバスを使いこなそうなんて、甘いのだろう。

 

 かくして、約20分後にユースに到着。時計はもう夜の12時近くになっていたが、廊下では現地のガキ共がギャーギャーと大騒ぎしながらサッカーをやって遊んでいた。日本だったら「うるせぇ! 今何時だと思ってるんだ!!」と、誰かが怒鳴るはずであろうが、意外と外国の方が誰も干渉しないようだ。何せ昼間は灼熱の湾岸。子供を外で遊ばせようとする親なんていないのだろう。命に関わる。そう考えると、サッカー・アジア予選でぶち当たる湾岸の強豪選手達もガキの頃は室内の廊下で多くの人々に大迷惑をかけながら、その実力を育んでいったのかも。

 通された部屋は二段ベッドが二つ並ぶだけの四人部屋で、中には物静かなドイツ人の青年が一人いた。このユースはほとんど欧米人旅行者の天下のような雰囲気だった。軽く挨拶し、とりあえず飲み物を確保しに隣のルル・ショッピングセンターに行く。ここがまたデッカイ所で、生活する上で必要なものはほとんど手に入る。ノンアルコールでよければビールだってある。インターネットカフェだってある。意外と過ごし易いかも! なんて思いながら、明日はどうしようかな、と模索する一日目であった。